【書評】珈琲の世界史(旦部 幸博)|コーヒーの伝播、カフェのはじまりを深堀りした一冊

 コーヒーの歴史といえば、カルディというヤギ飼いの少年の話が有名だ。ヤギが楽しそうに食べている赤い実を、カルディ自身も食べてみたら楽しい気分になり、ヤギと一緒に踊ったという話だ。あまりにも有名な話であり、筆者はこれがコーヒー発見の歴史だと当たり前のように思っていた。しかし、実は単なる物語にすぎない。

 コーヒーに関する本といえば、淹れ方や器具の紹介や、コーヒー豆の産地による味の違い、焙煎度による味の違いなどを紹介したもの、もしくはカフェ・喫茶店の特集したものばかりである。コーヒーの歴史や文化的側面、政治的側面に焦点が当てられた本は極端に少ないし、それらが紹介される機会も少ない。コーヒーの歴史や文化史といった話は堅苦しいからなのだろう。

 しかしそんなコーヒーの堅苦しい側面を、併用な文章でわかりやすく紹介してくれる本がある。それが『珈琲の世界史』である。

 本書はコーヒーの飲用がはじまった時代についてはもちろんのこと、コーヒーノキが誕生した時代や、コーヒーが世界に伝播していく過程、コーヒーハウスの文化的役割、コーヒーの日本史など、コーヒーの歴史をあらいざらい解説している濃密な一冊となっている。

以下、本記事ではその内容について簡単に紹介していく。

カルディの物語よりも前に、人類はコーヒーを利用している

 コーヒーを人類が利用したのは、いつ頃からなのか。

 先のヤギ飼いカルディの物語は17世紀頃の話だとされているが、それよりも前に人類はコーヒーを口にしている。

 コーヒーの利用が初めて記録されたのは、10世紀頃のエチオピアだ。コーヒーについて書かれた最古の文献は、アル=ラーズィーという哲学者であり錬金術師であり医者である、彼の著述を死後にまとめた『医学集成』という本のなかであり、コーヒーはある種の薬として紹介されていた。

 そういえば現在ではコーヒーの成分が科学的に解明され、コーヒーは実は身体にいいらしいといわれるようになった。コーヒーの健康効果を、アル=ラーズィーは、1000年以上も前に理解していたのだ。

ヨーロッパではイギリスがいち早くカフェを開く

 コーヒーを飲むための場所、すなわちカフェは1500年頃のマッカ(メッカ)で誕生した。その後、17世紀頃にはヨーロッパにもコーヒーが広がり、カフェも誕生した。

 ヨーロッパのなかでカフェをいち早く取りいれたのは意外にもイギリスである。紅茶のイメージが強いイギリスではあるが、コーヒーが流行った時代もあった。

 当時のイギリスのカフェは市民交流の場になっており、議論の場としてだけでなく、知識を得る場にもなっていた。また入店料を払えば、身分や貧富の差に関係なく、誰でも入店できた。1ペニー(入店料)を払えば大学のように何でも学べるとの評判から『ペニーユニバーシティ』とも呼ばれていたそうだ。

 そういえば、東京の五反田には「ゲンロンカフェ」という、トークスペースがある。ここでは、あらゆる分野の知識人が集まってトークをするのだが、トークライブ終了時にアフターが開催されるときもあり、ここでは視聴者も議論に参加できる。入場料を払えば、知識人の議論を聞き、さらに議論にも参加できるのだ。

 これは先のイギリスにおける「ペニーユニバーシティ」に近いものがある。「ゲンロンカフェ」が「カフェ」という名前であるのは、イギリスの初期のカフェ、もしくは後で説明するフランスの初期のカフェに倣っているのかもしれない。

 ちなみに当時のイギリスでは、国王チェーズル2世は自由闊達な議論の場であるカフェをこころよく思っていなかった。ゆえに、一時期カフェ封鎖令を出したが、市民のあまりの反発にあい10日で撤回する羽目になったそうだ。カフェは市民になくてはならないほど重要な場だったといえる。

フランスではカフェが革命の発端に

 フランス革命においてカフェは、大きな役割を担ったという。

 当時、絶対王政による政治制度のなか、言論の場であるカフェには思想家たちが集まり議論を重ね、また革命家たちが集まる場所にもなっていた。

 また1780年になると、パレ・ロワイヤルというそれまで王宮として使われた建物が、不動産業者に貸し出され、ブティックやカフェなど、多数のテナントが入居する、今でいうショッピングモール的な場になった。しかもこのパレ・ロワイヤルは警察の立ち入りを禁止していたので、革命家の絶好のたまり場になっていた。

 そして1789年、パレ・ロワイヤルの回廊にあるカフェ・ド・フォワのテラスから、1人の青年が通りの民衆に向かって演説を行い、これがきっかけとなってフランス革命がはじまる。

 フランスでは、現在でもカフェで政治の討論を日常的に行うという(日本人が「政治の話をしない」背景にあるもの-東洋経済)。カフェで政治的な議論を行うことは現在の日本では考えられない。さすが市民革命を成し遂げた国である。

 ちなみに居酒屋ではなくカフェが議論の場として使われたのは、アルコールで酔うこともないし、むしろカフェインによって頭脳が明晰になったからだそうだ。

なぜ日本はコーヒーのレベルが高いのか?

 本書は日本におけるコーヒーの歴史についても詳しく解説されている。日本にコーヒーが上陸したときからさかのぼり、女給がいたカフェーと純喫茶の時代、そしてカフェ開業ラッシュとスタバの上陸、現在のサードウェーブまで、詳しく解説されている。

 個人的に興味深いと思ったのは、日本のコーヒーのレベルが高い理由についての解説だ。

 日本のコーヒーのレベルは高い。たとえばアメリカでは1980年頃にスタバが誕生するまで薄くて美味しくないコーヒーが主流だった。だからスタバがスペシャルティコーヒーで目立つことができた。

 一方で日本はスタバが登場するもっと前から美味しいコーヒーが当たり前であった。焙煎所を持った喫茶店があちこちにあり、豆の産地や焙煎度、淹れ方にこだわった喫茶店が当たり前だった。何度も温め直した薄いコーヒーが当たり前であったアメリカとは大違いである。日本にスタバが上陸したときも、スタバの雰囲気やメニューの多さを称賛する声はあったが、コーヒーの味を称賛する声はほとんどなかった。これは最近でもそうであるが、それは日本のコーヒーのレベルが、スタバが上陸する前から高かかったからだといえる。

 なぜ日本では、質が高いコーヒーが普通に飲めるのか。その理由を本書では、1970年頃の喫茶店開業ブームで喫茶店の数が激増し、それによって競争が激化し、コーヒーが洗練されていったと説明している。

 高度経済成によってリッチなサラリーマンが多く誕生し、退職して個人事業をはじめる人も増えた。なかでも喫茶店は、コーヒーと軽食を提供するだけでよく、手軽にはじめられるということ開業する人が多かった。

 当時は「でもしか喫茶」という言葉も生まれた。

 「でもしか喫茶」とは、
「脱サラして喫茶店<でも>はじめようか」
「私には喫茶店くらい<しか>できない」
 の「でも」と「しか」を合わせた単語である。

 また1967年に飲食店や喫茶店などを開業する個人事業主を対象にした融資を行う機関として、環境衛生金融公庫が設立され、資金調達が容易になっていたことも、開業者の増加に拍車をかけたと説明されている。

 日本人は安定志向というイメージがあるが、この頃の日本人は一国一城の主に憧れる人が多かったようだ。「でも喫茶店くらいしかできない」という軽いノリで喫茶店を開業するなんて、今では考えられない。しかし当時のその軽いノリが功を奏して、日本には喫茶店が増え、競争が激化し、喫茶店のコーヒーのレベルが上がった。

 有名な話だが、2015年に日本に上陸したブルーボトルコーヒーは、日本の喫茶店にインスピレーションを受けているという。また日本のコーヒー器具メーカーのなかには、世界でも評価が高いメーカーがあるという。缶コーヒーにも上質な豆を使っているのは日本くらいであるという話も耳にする。

コーヒーの今後

 コーヒーに関しては、コーヒー需要の増加と地球温暖化、環境破壊の影響で、このままの消費行動を続ければコーヒーが飲めなくなる日がくるかもしれない、と悲観的な未来が語られることが多くなった。筆者が以前に本ブログで紹介した『世界からコーヒーがなくなるまえに』という本では、このままの消費行動を続ければ2080年にはコーヒーが飲めなくなるか、もしくは超贅沢品になると説明している。

一方で本書『珈琲の世界史』のしめめくりはポジティブだ。以下、最後の部分を引用する。

こうしたニュースを聞くたびに、手元のカップの中を見ながら「もしかしたら本当に、将来はコーヒーが飲めなくなるんだろうか」と考えないではありません。しかし、コーヒーの辿った歴史を考えると、少なくとも「コーヒーという飲み物」が生まれてからは、時代ごとにさまざまに、その有り様は変わっても、コーヒー自体が完全に消えてしまうことはなかったのです。
 コーヒーに熱い思いを抱く人がいる限り、きっと何十年、何百年後も、地球のどこかで誰かが、その歴史に思いを馳せながら、一杯のコーヒーを飲んでいるに違いありませ。

 たしかに本書では、過去にあったコーヒーの危機の説明がなされる。そしてその都度、何かしらの方法で乗り越え、コーヒー栽培を継続し、今がある。たしかにコーヒーはいろいろな災難を乗り越えて現在にいたっている。

 しかし、筆者としてはあまり楽観視すべきではないと思っている。先に紹介したコーヒーの持続可能性について紹介した『世界からコーヒーがなくなるまえに』この本を読むと、これまで通りの、楽観的なコーヒー消費を続けるべきではないと思ってしまう。(参考:2080年にはコーヒーがなくなるかもしれない|『世界からコーヒーがなくなるまえに』書評

最後の一文には賛成できない部分があるものの、『珈琲の世界史』は他のコーヒー本とは違う視点から、コーヒーの世界を紹介してくれる一冊である。