『銃・病原菌・鉄』に寄せられた批判とは? ビジネス界からも支持されている理由とは?

 中国やインド、シンガポール、台湾、韓国などアジアの国々の存在感が増す昨今であるが、それでも依然としてヨーロッパとアメリカやカナダなどのヨーロッパを起源とする地域に、多くの富と権力が集まっている。なぜ富や権力は、アフリカや東南アジア、南米に偏るのではなく、ヨーロッパとヨーロッパを起源とする国々に偏っているのだろうか? その謎を解き明かすのがジャレド・ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』である。

 本書は1998年に出版され、ピュリッツァー賞を受賞。朝日新聞による「ゼロ年代の50冊」の第1位に選出され、ビル・ゲイツも推薦している。さらに、なぜかビジネスにも役立つ本として、ビジネス界から支持を集めている。

 しかしほとんど知られていないが、実はこの本には「安っぽい科学」「全世界の長い人類の歴史を単純化している」「人種差別的である」など多くの批判がある。本記事では『銃・病原菌・鉄』の内容を紹介するとともに、本書に対する主要な批判を紹介していく。

内容要約

 内容はつぎの疑問を解決するものとなっている。すなわち、世界の富や権力はヨーロッパとヨーロッパからの移民によって作られた国家に偏在しているが、それはなぜか? なぜアメリカの先住民やアフリカ人の黒人がヨーロッパを侵略したり、植民地化したりすることがなかったのか? この疑問を1万3000年の歴史分析から解き明かす。

 では、なぜ世界の富と権力は現在のように偏在しているのだろうか。著者はその答えを、食糧生産を開始するスピードにあるとしている。つまり、ユーラシア大陸は他の大陸よりも食糧生産を早くはじめることができたから、技術や文化を他の大陸よりも早く発展させることができた。ではなぜ、ユーラシア大陸は、他の大陸よりも早く食糧生産をはじめられたのか? その理由は地理的に恵まれており、栽培化可能な植物や家畜化しやすい動物が多く存在していたからだである。つまり、ヨーロッパに権力や富が偏在しているのは、環境的に恵まれていたからなのだ。

 本書は先進国と途上国が存在する理由について、「白人が人種的に優れているからだ」としていた人種差別的な考え方を真っ向から否定するものである。しかもその論を、疑問と結論が明確に記載されているのですらすら読めるので文章で解き明かしたことによって、多くの読者を獲得し、高い評価を得た。

 しかし一方で、前述のとおり本書には多くの批判も寄せられている。まったくもって手放しで称賛していいものではない。本記事では『銃・病原菌・鉄』を慎重に読みすすめるべき本であることを知ってもらうために、『日本の地理学は『銃・病原菌・鉄』をいかに語るのか―英語圏と日本における受容過程の比較検討から―』という論文にまとめられている主な批判を紹介する。

「銃・病原菌・鉄」に寄せられた批判

環境決定論である

 先の論文で述べられている主な批判は、環境決定論的であるというものだ。環境決定論とは、地形や気候など物理的な要因によって、人間の思考や活動、文化の発展が決定するというものである。たとえば「熱帯地域は、気候が温暖であるがゆえに、寒い地域にくらべて生存するのが楽だった。生存のための工夫を必要としなかったので開発が遅れている」「発展できる地域と発展できない地域は環境によって決まっている」というものである。実際、この環境決定論では説明できない事例が数多くあり不十分である。また環境決定論は、先進国による人種差別や帝国主義的を肯定するものでもあり、個々の人間の意思や創造性を否定するものでもあるとして、現在は衰退している。そんな衰退した環境決定論をジャレド・ダイアモンドは再び持ち出したとして批判されたのだ。

ダイアモンドは全世界の長い人類の歴史を単純化し,文化的要因を排除し,全てを地理的・環境的要因に還元しようとする.そうした人間の意志を無視する理論は,将来のより良い世界への政策に資することはない.

日本の地理学は『銃・病原菌・鉄』をいかに語るのか―英語圏と日本における受容過程の比較検討から―

ダイアモンドは,現在の国家間・地域間の力関係は 大局的には変更不可能なのであり,すでに確立されているヨーロッパ起源の人々の優位性も覆ることはないと確信しているようにみえる. 

日本の地理学は『銃・病原菌・鉄』をいかに語るのか―英語圏と日本における受容過程の比較検討から―

ダイアモンドは,弱者の立場に立つ人道主義者のまなざしからヤリ(ニューギニアの人)たちを一般のヨーロッパ人よりも優秀だと断定することによって,「人種」の属性に優越をつける「人種主義」を固定化し温存させている.

日本の地理学は『銃・病原菌・鉄』をいかに語るのか―英語圏と日本における受容過程の比較検討から―

 たしかにジャレド・ダイアモンドが述べる「ヨーロッパが他の大陸よりも先んじて富と権力を獲得できたのは、たまたまヨーロッパが地理的に恵まれていたからだ」という主張は、ヨーロッパとヨーロッパ起源の国々が先進国になれたのは、運命であり、必然であり、後進国が後進国であるのもまた運命であり必然なのだから仕方がないとして、ヨーロッパ中心主義を肯定しているよう捉えられる。ちなみにジャレド・ダイアモンドは環境決定論的であるという批判に対して、電子版のエピローグで以下のように弁解している。

環境決定論という言い方には、人間の創造性を無視するような否定的なニュアンスがあるかもしれない。人間は気候や動植物相によってプログラムされたロボットで、すべて受動的にしか行動できないというニュアンスだ。しかし、それはまったくの見当ちがいである。人間に創造性がなかったら、われわれはいまでも、一〇〇万年前の祖先と同じように石器で肉を切り刻み、生肉を食べているだろう。しかし、発明の才にあふれた人間はいずれの社会にもいる。そして、ある種の生活環境は、他の生活環境にくらべて、原材料により恵まれていたり、発明を活用する条件により恵まれていた。それだけのことである。

銃・病原菌・鉄

 ジャレド・ダイアモンドは、ヨーロッパ中心主義や人種による能力の差を否定したいがために、ニューギニアの人々や現在後進国の国々に寄り添うあまり客観性を失い、その結果、環境決定論的になりヨーロッパとヨーロッパ起源の国々に富と権力が偏っていることを暗に肯定してしまうという、自己矛盾に陥ってしまったのだ。

 それでも本書で論じられている、環境の違いが文化の発展に影響を与えるというのは、完全に否定できるものではない。環境が人の活動に影響を与える可能性は、もちろんあるのだ。ただしだからといって、富や権力の偏在を肯定していいという理由にはまったくならない。

なぜビジネス界から支持されているのか?

 本書はビル・ゲイツをはじめ、経営者などビジネス界でも人気がある。日経オンラインや東洋経済、ダイヤモンドオンラインなど、ビジネス系のニュースサイトでも紹介されている。なぜビジネスマンがこの本を支持しているのか、筆者には非常に疑問であった。というのも一見すれば本書は、成功するかどうかは運次第であり、個々の努力や創造工夫は成功に関与しないと述べているように捉えられるからだ。一般的なビジネス書は基本的に、個人の努力や創意工夫によって仕事や人生が好転することを前提にしている。一方で『銃・病原菌・鉄』はそういった個人の努力や創意工夫を否定していると捉えられる。乱暴にいえば「努力しても無駄、すべては運次第!」と主張する本を、なぜビジネスマンがありがたがるのだろうか。

 しかしこの疑問の答えは、本書に対する批判を集めた先の論文で解決できた。ビジネス界から支持された理由は主に2つある。

新自由主義にお墨付きを与えるものである

 1つは、本書は新自由主義的思考と親和性があったからだ。本書の第16章では中国が紹介されている。ここでは、中国はヨーロッパ地域よりも早く文明を発展させたのに、なぜそのリードをヨーロッパに奪われてしまったのかを解説している。その主な理由として紹介しているのが、中国が統一国家であり、また規制が厳しく、新しい技術や取り組みがなかなか採用されなかったからだとしている。一方のヨーロッパは無数に国家があり、1つの国で採用されなかった技術や施策を隣国で実行できた。また無数の競争相手がいたので、技術革新もどんどん進んだ。一言でまとめると、中国は規制が厳しく競争相手がいなかったから、ヨーロッパにリードを奪われたというわけだ。

 この主張は、経済発展を進めるには国家による規制を極力撤廃し、自由に競争させるべきだというアメリカや日本が好きな新自由主義の思想と合致する。つまり、ジャレド・ダイアモンドが規制撤廃、自由競争の思想にお墨付きを与えてくれたということで、ビジネス界で支持されたのだ。

 ちなみに新自由主義は、個人の努力や創意工夫を尊重するものである。しかし『銃・病原菌・鉄』は個人の努力や創意工夫よりも、環境が大切であり、いい環境に生まれるかどうかは運次第だと論じている。本書を新自由主義にお墨付きを与えてくれる本であると認識している人がいるなら、それは完全に誤読しているのではないだろうか。もしくは運も実力のうちとして、運がある者が富を独占するのは当然だ、と解釈しているのだろうか。

国々の優位性を担保してくれるものとして受け取られた

 ビジネス界隈から支持されたもう1つの理由は、現在裕福な国は、将来的にもそうあり続ける可能性が高いと述べているように受け取れるからである。簡単にいえば「アメリカや日本の優位性は今後も揺らがない」と、お墨付きを与えてくれていると受け取られたのだ。

 本書では「現代という時代にあっても、新しく台頭して力を掌握できる国々は、数千年の昔に食料生産圏に属しえた国々である。あるいは、そういうところに住んでいた人びとを祖先に持つ移民が作った国々である」と論じている。この部分に対して前出の論文(日本の地理学は『銃・病原菌・鉄』をいかに語るのか―英語圏と日本における受容過程の比較検討から―)では、「新興国の台頭におびえる経営者たちを安心させるものだったと想像できる。極言すれば、ダイアモンドは現在力を持った国々の優位は歴史的に担保されているとしたのである。」と述べている。つまり、早いうちに経済発展できた国は、環境的に恵まれた国であるのだから、発展途上国の影響力が強くなりつつある昨今においても、環境的に恵まれた国の優位性は揺らぐことはない、そのように多くのビジネスマンに解釈されたのだ。

 これはアメリカにとってはもちろんのこと、隣国に優位性を奪われつつある日本にとっては、とても気持ちのよい言説である。日本の経済の将来的な優位性を約束してくれたと捉えることもできる。『銃・病原菌・鉄』はベストセラーになり、評価も絶賛の嵐であるが、その理由は、多くの日本人にとって心地よいことが書いてあるからだ。多くの人は 運がある者が富を独占するのは当然だ、適者生存だと解釈しているのかもしれない。ただその解釈は「将来のより良い世界への政策に資することはない」ものである。

おわりに

『銃・病原菌・鉄』に対する批判は、本記事で紹介した以外にもたくさんある。その内容は以下の論文にまとめられているので、ぜひ一読してほしい。

日本の地理学は『銃・病原菌・鉄』をいかに語るのか―英語圏と日本における受容過程の比較検討から―

とても読み応えがある論文である、また『銃・病原菌・鉄』が手放しで称賛できる本ではないことがよくわかるはずである。