【書評】お望みなのはコーヒーですか?(ブライアン・サイモン 著)|スタバの批判的考察から消費社会を考える一冊

スターバックス考察

『お望みなのはコーヒーですか?』は、日本語化されている本のなかでは数少ないスターバックスを批判的に論じた本である。

しかもその内容は「意識高い系が嫌い」や「気取った雰囲気が嫌い」といった感情的な批判ではなく、取材と文献にもとづいた社会学的な見地からの批判となっている。ゆえにスターバックスが人気である理由や、スターバックスの存在が象徴するもの、社会に与える影響などを考察するうえで非常に重宝する。

著者のブライアン・サイモンはアメリカのテンプル大学でアメリカ史を研究し、食文化や環境などにも精通する人である。

前述のとおり、本書は全体的にスターバックスに対する批判的に意見が述べられている。しかし筆者、そして訳者はこの本はスターバックスを批判するためのものではなく、スターバックスをきっかけに、現代の消費社会の仕組みを知るためのものだとしている。

「スタバ」を「支配者」と指さし、糾弾することによって満足する行為に使われることを、この本は望んではいない。「おわりに」での著者の「気づき」にあるように、大企業批判をすればするほど、「買うこと」を軸にまわる僕ら自身の生存様式について考えることは難しくなる。本書の射程はより広い。スターバックスは僕らの願望を代表しているに過ぎず、ゆえに僕ら自身をみつめることがまず必要なのである。

あとがき

本書はスターバックスを批判する材料を探すにはうってつけの本であることは確かだ。一方で大量にある社会問題、環境問題を考えるならスターバックスだけを批判しても意味がない。スターバックスはきっかけにすぎない。

本書のスタンスはまさにそれで、スターバックスを通じて、消費社会を考えるものである。この点には留意する必要がある。

さて本記事では『お望みなのはコーヒーですか?』の要約と感想を紹介できればと思う。

要約

本書は前述のとおり、スターバックスが担う社会的な役割やスターバックスが発信しているメッセージ、そして人気の秘密から、その存在を探る一冊である。

スターバックスは中産階級が欲しいものを与えてくれる

スターバックスの主な客は、ある程度お金に余裕がある中産階級である。ではなぜ中産階級の人たちが集まるのか。その理由は、スターバックスは中産階級が欲しがるものを提供してくれるからだという。

たとえばスターバックスは、公式サイトやCEO著書など、あらゆるメディアを通じて、環境問題や途上国の労働問題など、あらゆる社会問題に取り組んでいる姿勢をアピールしている。またコーヒー豆の産地を示し、本当に質が良いコーヒーを販売しているかのような販売戦略をとる。店内には音楽に凝った人が混んで聞きそうな洒落たジャズミュージックが流れ、オシャレな内装をしている。

そんなスターバックスにいくことで、自分がオシャレなものを理解できる人間であり、地球の環境問題や労働問題にも関心があることをアピールできる。だから自分自身を、センスの良い、善良な人間であると思い込みたい中産階級たちが集まるのだ。

また中産階級が集まっているまさにその事実も、中産階級を集める理由の1つになっているという。同じものを理解できるセンスのいい人が集まる場所にいくことで、自分もその一員なのだと安心できる。そういった場所だからこそ、スターバックスには多くの中産階級が集まるのだと。

そのことについて本書は以下のような言葉で述べている。

茶色のスリープにくるまれた真っ白なペーパーカップを片手に、イタリア語っぽいスターバックス製の世界共通語を口にすることによって、顧客は自分が最先端で都会的なテイストを備え、品格があって素敵な暮らしを追求し、世界の自然環境の保全や恵まれない人々の生活改善を願い、国際関係の改善に関心を持つ、カッコいい仲間の一員であるように振る舞うことができるのである。

p8

スターバックスはサードプレイスもどき

スターバックスは中産階級が好きなものをこれでもかというほどの集めた空間だ。それを踏まえたうえで、本書はスターバックスが発信するメッセージの虚構性について論を進める。

たとえば第三章「サードプレイスもどき」では、スターバックス自らが提供していると主張するサードプレイスについて、「スターバックスは決してサードプレイスではないと批判している。

まずサードプレイスとは、アメリカの社会学者であるレイ・オルデンバーグが提唱した言葉で、自宅(ファーストプレイス)でもない、職場(セカンドプレイス)でもない、自分にとって心地よい時間を過ごせる第三の場所のことを指す言葉である。

スターバックスのCEOであるハワード・シュルツは、オルデンバーグの言葉を援用し、「スターバックスこそサードプレイスである」と以前から主張している。このメッセージは、日本のスターバックスの公式サイトにも掲載されている。

そして本書は、スターバックスは決してサードプレイスではないと主張する。レイ・オルデンバーグが提唱したサードプレイスは、身分も人種も性別も関係なく、いろいろな人がつどい、コミュニケーションを取り合い、議論し合える、公共的な場所をさしていた。ちょうど18世紀頃のイギリスに存在したコーヒーハウスのような。

しかしスターバックスは決してそういった空間ではない。たとえばスターバックスにはパソコンを広げて仕事している人がたくさんいるが、あの人たちはりオフィスとして、つまりセカンドプレイスとしてスターバックスを利用している。

また赤の他人同士が会話をはじめることもまずない。1人客は入店から退店まで、店員以外とは誰ともしゃべることはない。またスターバックスの高いドリンクメニューは、貧乏人を排除するための装置になっている。コミュニケーションが生まれることはないし、公共性もないのだ。オルデンバーグが提唱したサードプレイスとはまったく違う。

ちなみに本書の著者はサードプレイスを提唱したオルデンバーグに、直々にインタビューしている。そしてオルデンバーグは以下のように述べた。

オルデンバーグは、スターバックスがいくらか「良いこと」もしていると認めたうえで、スターバックスのサードプレイスの概念を批判した。ハムエッグを頬張りながら「ただの真似事さ。スターバックスは概念を勝手に解釈し使っているんだ。かれらにとっては、安全がすべてなんだよ」と話した。

p111

スタバを消費するだけで社会問題は解決しない

他にもスターバックスの環境問題への取り組みや、コーヒー農家への支援、いわゆるフェアトレードに関する取り組みの不足、スターバックスの排他性などにも言及する。

そのうえで、最後の章で主張するのは、消費の罠についてだ。

スターバックスは環境保護、ゴミの削減、コーヒー農家の支援、発展途上国支援、地域のコミュニティづくりなど、あらゆる問題に取り組んでいると主張する。「他のカフェよりも、スターバックスを選べば、あらゆる問題の解決に貢献できる」とアピールしているかのように。

そして社会問題に関心がある人、もしくは社会問題に関心があると周りから思われたい人は、スターバックスが発するそのメッセージを信じ込み、スターバックスを選ぶことで社会問題にコミットしていると信じている。

しかし実際のところ、スターバックスの取り組みは不十分な点も多くある。ゆえにスターバックスを選べば、あらゆる問題が解決するわけではない。またスターバックスを選ぶことで、自分がなりたい自分になれるわけでもない。

そしてこれはスターバックスだけでなく、他の商品にもいえることだ。特定の商品を買うだけで社会問題が解決すると思ったら大間違いなのだと。

その該当部分について少し引用する。

居場所、コミュニティ、幸福、先進国と発展途上国との格差の是正をスーパーマーケットや、アパレル店、コーヒーショップで買うことはできない。僕たちが心の底から渇望するこうした大事なものを獲得するには、時間がかかるのだ。不断の献身や努力、政治的な活動や組織化、綿密な制度設計が必要になる。

セイレーンのマークが付いていて、リサイクル素材でできたスリープつきのベンティ・ラテ。およそ四ドルのこうしたドリンクが放つオーラなんて、こうした活動とはあまり関係がない。まずは買うことに込められた罠を自分で見抜き、それを取り除くことが第一歩なのだ。

p281

この部分が本書のもっと伝えたい部分なのではないかと筆者は考えている。

書評

スターバックスはドリンクのメニューが豊富だし、店内もトイレもきれいだし、店内の雰囲気もいいし、スタッフの接客も良い。フードメニューも以前に比べると美味しくなった。環境保護や途上国支援、ゴミの削減にも積極的(のようにみえる)なスターバックスは、常に混んでいることを除けば、非の打ち所がないすばらしいカフェだ。

だからスターバックスは日本で最も店舗数が多いチェーンカフェであり、今もその数を増やし続けている。

しかし、そんなスターバックスの増殖を私たちは手放しで受け入れていいのだろうか。そんな疑問からスターバックスに関する本を読みはじめ、そのなかで見つけたのが『お望みなのはコーヒーですか?』であった。

日本のスタバを洞察するうえでも重宝する一冊

本書はアメリカ人の著者が執筆しており、内容はあくまでアメリカのスターバックスについてである。また中産階級という、日本人にはあまり使わない言葉で、スターバックスが選ばれる理由を論じている。ゆえに日本とは違うのでは、と思ってしまうかもしれない。

それでも日本のスターバックスと日本社会、消費文化を考察するうえで、非常に役に立つ一冊であることは間違いない。

アメリカと同じく、日本でもスターバックスはある特定の客層に強く支持されている店である。そのことはドトールとスターバックスの客層の違いをみれば、はっきりわかることだ。本書で使われる中産階級という言葉を、日本のスターバックスの主な客層に置き換えて読むと、日本のスターバックスの話しとしても十分に読むことができる。

そのためアメリカと日本は違う、といって簡単に切り捨てしまうのはもったいない。日本の消費社会を洞察するうえでも非常に役立つことが書いてある一冊なのだから。

スターバックスに関する本は、スターバックスを褒める本ばかりである

スターバックスに焦点を当てた本といえば、スターバックスが世界でナンバーワンのカフェチェーンになることができた要因を分析するものばかりだ。

たとえば、『スターバックスはなぜ値下げもテレビCMもしないのに強いブランドでいられるのか?』や『スターバックスを世界一にするために守り続けてきた大切な原則』など、スターバックスがグローバルチェーンになれた理由を分析し、それをビジネスや人生に役立てましょうというスタンスの本ばかりだ。いわゆる自己啓発本である。

こういった本はスターバックスを全肯定する。スターバックスの取り組みを批判することなんてまずない。日本で出版されている本は、そんな本ばかりだ。

一方、本書『お望みなのはコーヒーですか?』は、スターバックスを批判的に論じている。しかも「意識高い系がいれヤダ」とか「注文の仕方がわからない」といった感情的なものではない。もっと論理的なものであり、社会学や消費文化の側面から、スターバックスとは何かを、深く論じてくれる。

消費社会を考察するヒントを与えてくれる一冊

冒頭でも書いたとおり、『お望みなのはコーヒーですか?』はたんにスターバックスを批判するためのものではない。スターバックスはあくまで材料にすぎず、本書の目的は消費社会を考察することにある。

グローバル化、市場の自由化、民営化が進んだ現在、消費が意味するものは非常に大きくなった。私たちは買うことを通じて、アイデンティティや自分の政治的立場を確認し、表現する。

また企業も、この商品で理想の自分になれますよ、社会問題を解決できますよ、とアピールしている。それを信じ込み、私たち何を買うかを選択することで、社会問題を解決できる、なりたい自分になれると考える。しかしこれはたんなる錯覚でしかない。

吉本隆明の言葉でいえば、「共同幻想」であろうか。

買うことによって特別な誰かになれるわけではないし、買うことで社会のあらゆる問題が解決するわけでもない。企業が発するそういったメッセージに注意する必要があるし、自分自身も消費するだけで満足してはいけない。

本書がスターバックスの研究をとおして伝えているのはそのことだ。

世界をより良い場所にするために、僕らは買う。<略>しかし、買うことは確かに明らかな行為で、研究の題材として扱いやすいが、そうした行為は僕たちの希望や夢を叶える解決策ではないし、そうであるはずがない。買うことに付与された余計な物語や偽りの約束や誓いが、より平等でより公正な未来のために肝要な、市場を介しない市民的なつながりを再構築する努力をひそかに骨抜きにしつつあるのである。

本書は、スターバックスをとおして現代の消費社会のあり方を洞察できるとても役立つ一冊である。スターバックスが嫌いか否かに関係なく多くの人におすすめしたい。

タイトルとURLをコピーしました