スターバックスの人気の理由はその排他性にあるのではないか

 スターバックスは排他的なカフェである。 これは別にスタバを批判しているわけではない。むしろスタバは排他性があるからこそ圧倒的人気なのである。

 スタバはそのコンセプトとそこに集まる人たちによって、自然と排他性をおびたカフェになっている。フレンドリーな店員、豊富なドリンクメニュー、オシャレな気がする店内の雰囲気とBGM、その空間に集まるスタバ的な人々。それらすべてが作りあげるスタバ的空間によって、スタバは一部の人にとっては入りづらい空間になっており、「入りづらい」と感じる人たちを暗に排除しているのだ。

 そしてスタバが人気の理由も、このスタバ排他性にあるのではないかと思っている。

スタバはその客層、メニュー、インテリアによって一部の人を排除している

 基本的にスタバは誰でも利用できる。常識的なルールを守れば、年齢、性別、人種問わず誰でも入店できる。一方でスタバは、その雰囲気やブランドイメージ、実際の利用客によって一部の人間を排除している。マーケティングの言葉でいえば「ターゲティング」だ。

お年寄りが排除されている

 スタバを利用している人は驚くほど似通っている。まずスタバにはお年寄りがほとんどおらず、10代、20代、30代などの比較的若く、健康的な人ばかりだ。ドトールや珈琲館、コロラドで見かけるような、地元のおじさん、おばさんは少ない。

 スタバに若い人が多いのは、スタバが若い人にとって心地よい空間であるからだといえる。グランデやショートなどのわかりづらいカップサイズや、フラペチーノのような舌を噛みそうなメニューの数々は、どう考えてもお年寄りにはとっつきにくい。このメニュー構成はお年寄りだけでなく、一部の人にとってもスタバが入りづらい理由になっている。

 また都心部の店舗では高くて硬いカウンター席ばかりであるが、あの椅子でお年寄りがゆっくりできるとは到底思えない。

 そもそもスタバは身体が自由に動かないようなお年寄りをターゲットにはしておらず、身体を脳みそも明晰な若い人をターゲットにしている。意地の悪い言い方をすればお年寄りを暗に排除しているのだ。

一部の男性が排除されている

 例外的な店舗もあるが、概してスタバは女性客が多い。女性客が多いことをスタバが苦手な理由の1つとしてあげている人もいた(「都会の」スタバが死ぬほど嫌いです。というか女子高生が怖いです。)。

 「女性客が多くて入りづらい」という意見はごく少数のものだ。そんなごく少数の意見までいちいち聞いていたら商売はなりたたない。私企業なのだからマスを狙えばいい。それでもスタバに流れる雰囲気、その客層によって入りづらさを感じている人が存在するのは事実である。些細なものであったとしても、これはスタバの排除性である。

 ちなみに女性客が多いのは、女性客をメインターゲットにしていたわけではなく、スタバの雰囲気やメニューの豊富さに、結果的に女性が集まったからだ。スタバの日本での展開を解説した『日本スターバックス物語』には「日本でスタバをオープンしてみると意外と女性に支持された」といった趣旨の内容が書いてある。スタバは最初から女性客をターゲットにしていたわけではないのだ。

 ただスタバがそう仕向けたわけではないにしても、女性が多いことで、ある種の排他性が生まれているのは事実である。スタバに集まる客層によって、スタバはある種の排他性、排除性を獲得してしまったのだ。

スタバに流れるスタバ的雰囲気によって、それが嫌いな人が排除されている

 スタバの最大の特徴は、何といってもあの気取った雰囲気だ。スタイリッシュな内装と、何となくオシャレに感じるBGM、ハツラツとしたフレンドリーな店員。そこに集まるオシャレに着飾った気取った人たち。それらすべての要素が作りあげる惟一無二の気取った空間がスタバにはある。

 一方でこのスタバ的なものに対して、違和感を感じてしまう人は「あちら側の人間にはなりたくない」「あの空間で浮きたくない」という思いからスタバを敬遠するようになる。なかにはアンチになる人も。

 スタバは、スタバの内装やBGMとそこに集まる人たちによって、スタバ的な雰囲気で満たされた空間をつくっている。その強烈なスタバ的空間によって、スタバ的なものにそぐわない人を暗に排除しているのだ。

 スタバは年齢、性別、人種、問わず誰でも入店できる。だからといって誰もが入店できると感じているわけではない。注目の仕方がわからなくて利用できないお年寄りや、若い女性が多くて入りにくいと感じている男性、スタバ的なものを受け入れることができない人が、暗に排除されているのだ。「誰でもどうぞ!」と両手を広げて歓迎をしてはいるものの、「スタバにそぐわない人は入るな」と顔に書いてあるかのように。

 一方で、この排除によって、スターバックスのなかは快適な空間になっている。スターバックスに堂々と入店できる人は、同じように堂々入店できる人をみて安心する。スターバックスが持つ排除性がによって、スターバックスは他のどのチェーンカフェよりも快適な空間が保たれており、だからこそスターバックスのファンはスターバックスにばっかり行くのだ。

一部の客を暗に排他するのは、決して悪いことではない

 スターバックスは暗に一部の客を排除している。

 しかしそれは悪いことで何でもない。スタバは私企業なのだから、法律や倫理に反しない限り、どんな店づくりをしたっていい。そもそもスタバがやっていることは単なる客のターゲティングである。スタバに限らず、すべての飲食店がやっていることであり、ドトールやルノアールであれば、あのジジくさい雰囲気は若い女性を排除しているといえる。

 その他だとタピオカ屋は強烈な排他性をもっている。ポップな外観で若い女性で溢れているあのタピオカ屋の空間は、若くはない人を強烈に排除する。タピオカのブームについて考察した『タピオカティーが流行った3つの理由』こちらの記事では、タピオカがブームになった理由の1つは、10代〜20代の女性たちだけの空間があるからだ、と考察している。つまり、タピオカ屋は中年以上のとくに男性を徹底的に排除することでブームをつくった。

 このように特定の人を排除する手法は、ビジネスを成功させる上で欠かせない手法でもある。ここまで批判的に書いてきたが、スタバが特定の客を暗に排除するのは、悪いことでも何でもない。

スタバのサードプレイスは誰かのサードプレイスを奪った上で成り立っている

 一方で、筆者が懸念しているのは、スタバが増えすぎることだ。スタバが増えることで、スタバが嫌いな人が利用できるカフェが相対的に減ってしまうことに懸念を抱いている。

 とくにスターバックスは駅ビルや駅のすぐそば、大きな公園や図書館など、立地が良い場所やランドマークとなる場所に入居しているケースが多い。また新規オープンするスタバも、たいてい立地が良い場所だ。つまり、良い場所にはいつもスタバがあるという状態なのだ。これからさらにその傾向は強くなるだろう。

 この状況は、スタバが好きな人にとっては大歓迎だろう。しかしスタバが嫌い、苦手な人は、駅から遠い立地の悪い場所まで行かないと好みのカフェが見つからないという状態になってしまう。多数のスタバ好きにとっては良い世の中であるが、少数のスタバ嫌いの人にとっては不便な世の中になるのだ。

 スタバはこれから多数派のサードプレイスを確保するために、少数派のサードプレイスをどんどん奪っていく。

スタバのこれから|店舗数を増やすのではなく、周囲に還元する利益を増やすべき

 資本主義において企業はなぜか成長し続けることを考える。動き続けなければ死んでしまうマグロのように、企業は規模を拡大し続ける目標にする。その例にならってスタバも拡大し続けるつもりだろう。

 一方で、前述の通り、スタバが拡大し続けることで少数派が排除され、多様性が奪われるのも事実である。スタバは社会貢献活動にも環境保護活動にも積極的であり、増えるのは悪いことではないかもしれない。むしろ社会にとっては好ましいことなのかもしれない。

 しかし筆者としては少数の大企業による寡占よりも、多数の中小企業が無数にあるほうが、選択肢が豊富であり多様性が担保されるのでいいと考えている。ゆえにスタバが増え続けることには懐疑的だ。

 これはスタバに限らず、すべての大手チェーンにいえることであるが、これからは店舗数を増やして売上を増やすのではなく、得た利益を生産者やサプライヤー、従業員により多く還元することで、社会に貢献してもらいたい。

スターバックスの持つ排他性については、スターバックスについて批判的に考察した『お望みなのはコーヒーですか?』でも書かれている。こちらの本は、スターバックス関連の本のなかでは非常に貴重なスターバックスの是非を問うものなので、ぜひ一読してもらたい。