『「食べること」の進化史(石川伸一)』の書評と個別化食について

食に関連した本の書評

 いまでこそ簡単に手に入る香辛料であるが、世界で流通するようになって間もないころは、まだまだ希少であり、また「万能の薬」として重宝されていた。そんな香辛料は、貴重であるがゆえに、供給を制限することで領民を支配するための道具として、また富や権力を誇示するための道具として使われた。食べ物は支配の道具として使われたのだ。

 食べ物に関してかかせないいとなみといえば料理だ。人間は動物のなかで唯一、料理をする生き物だといわれている。料理できることは人間であることの証ともいるのだが、逆に料理をしたからこそ、人間は他の類人猿よりも知能を発達させられたともいえる。

 人間が他の類人猿よりも発達した脳をもつことができた1つの理由は、火を使った料理ができたからだ。食材を加熱することで、食材から効率的にエネルギーを摂取できるようになり、脳細胞の発達に一役買ったのだ。

 食べ物は人の心を操るために使われた。料理は人の身体に変化をもたらした。たかが食であるが、それは身体や精神、生活、社会と密接に関わっている。

 ならば食の未来をひもとくことで、人間の未来のあり方を考えられるのではないか。そんな提案ではじまるのが石川伸一による著書『「食べること」の進化史 培養肉・昆虫食・3Dフードプリンタ』である。

本書のはじめにはこんな言葉が書かれる。

食べるという行為は、日常的かつ必須であり、私たちの肉体や精神などに直接的かつ間接的な影響を広く与えているため、人の未来像を予測する上で、食のこれからを考えることは、大きな威力を発揮するでしょう。

つまり食の未来を知ることは、人間の未来を知ることなのだ。

食について、過去、現在、未来の3つ時間軸で解説した一冊

本書『食の進化史』は食を以下の4つジャンルに分割する。

  • 食と料理
  • 食と身体
  • 食と心
  • 食と環境

その上で各4つジャンルを過去、現在、未来の3つの時間軸から論じている。

 たとえば第一章の「料理の未来はどうなるのか」の前半部分では、食の工業化が人類を料理という労働から解放した一方で、様々な問題も生み出したと説明する。

 食の工業化とは、加工工場で食べ物を調理・加工することだ。工場のベルトコンベアーで車を製造するようにして、缶詰や肉などを工場で加工していくことだ。この食の工業化によって、これまで個々の家の台所でなされていた料理・調理が工場に移行し、それまで多くの人が料理という労働から解放された。一方で食の工業化によって、健康問題や食品廃棄の問題、コミュニケーション損失の問題など様々な問題を生み出しもした。

3Dフードプリンターで実現する個別化食

 同じ章の後半、料理の未来を紹介するパートでは、3Dフードプリンターという、食べ物をつくることができる3Dプリンターの紹介がある。このフードプリンターによって可能になるのが、一人ひとりの好みや、必要な栄養素を考慮した料理である「個別化食」だ。

 たとえば3Dフードプリンターに、年齢、性別、遺伝情報(事前に検査した情報)、病気の有無、運動の有無、その日の体調などの個人データと、自分がいま食べたいものや好き嫌いを入力すると、栄養面も嗜好面もその人専用にカスタマイズされた「個別化食」を作ることができるといった具合に。

3Dフードプリンターに、個々人の年齢、性別、遺伝情報、病気の有無、運動の有無、その日の体調などの「個人データ」と、自分が食べたいもの(ラーメン、寿司など)と好み(風味や食感など)の「3Dフードデータ」を入力するだけで、栄養面や嗜好面が完璧に反映された「個別化食」が生み出される、そんな未来食が考えられます。

 これまで自分の頭のなかで大雑把に行っていた、その日の気分と取りたい栄養素からその日に食事メニューを決めて買い物、もしくは店探し、などといった手間が省けるのだ。精神的にもかなり楽になるだろう。

 一方で個別化食が当たり前になったとき、鍋パーティーやBBQ、焼き肉、たこ焼きパーティーなど、同じ料理を複数人で食べるという行為は、気持ち悪さや非効率さ、後ろめたさを感じるものなってしまう。どんな栄養が入っているかわからない、他人が料理した飯など、怖くて食べられなくなるかもしれない。

光合成人間

 また第二章の「未来の身体はどうなるか」では「光合成人間」というとても刺激的な未来予測が紹介されている。

 ビーガンやベジタリアンなど、特定の食材を食べる人たちがいる。同じ流れ、液体しか取らない人をリッキダリアン、水以外の一切を取らない人をブレサリアン(呼吸だけの人)と呼ぶ。そしてブレサリアンを支持する人から垣間見えるのは、食べないことへの憧れと「植物になりたい」という感情だという。行き着く先は、光合成人間なのだと。

 光合成人間なんて絵空事のように思えるが、実はすでに脊椎動物であるサンショウウオの一種には光合成をしているという。この光合成サンショウウオの解明が進み、人間に応用できれば、めでたく光合成人間の完成だ。技術的に光合成人間になれる時代がきたとき、リキッダリアンやブレサリアンは喜んでそれを身体を手に入れるだろう。そして食事をしなくても生きていける人類が誕生したとき、食事のもつ意味は大きく変わるだろうと本書は予測する。動物を殺したり、植物を刈り入れたりという、食がもつ残虐性や攻撃性が浮き彫りになるのだと。

 食の歴史と現在、未来が広く浅くわかる一冊

 さて、本書は大学の教授が書いた本であるが、1つ1つの章が短くまとめられており、また簡単な文章で書かれているので非常に読みやすい。食関連で2020年話題になった本として「フードテック革命」がある。こちらも食の現在と未来を紹介した本であるが、どちらかといえばテクノロジーとビジネスの分野に特化したしていた。

 一方で『食べることの進化史』は、食の歴史や文化的な役割にも解説が及んでおり、まさに食の進化史を総合的に把握できる一冊になっている。ただしあくまで広く浅く触れるに過ぎない。最新技術に関する評論はない。情報をどう解釈するかは読者に委ねられているといっていい。

個別化食は人間を幸せにするのか?

 本書では一章と二章で個別化食について触れている。個別化食とは前述のとおり、一人ひとりの健康状態や体質、遺伝子情報、好みにあわせた食事のことだ。サブウェイでサンドイッチの具材やパンやカスタマイズするように、食べ物の栄養素を個別にカスタマイズし、健康維持や役立てようというものだ。

 「個別化食」は前述の『フードテック革命 世界700兆円の新産業 「食」の進化と再定義』という著書でも、「パーソナライズドフード」という言葉で紹介されている。これがフード業界のトレンドであることは間違いないだろう。この「個別化食」の裏に隠れているのは、健康でありたい、長生きしたという願望である。

 一方で、自分が長生きするために何を犠牲にするのかも考えなければいけない。たとえば完全な個別化食を実現するには、遺伝子検査を行い、自分の体質やアレルギー情報といった細かい情報を把握し、必要であれば、外部に伝えておかなければいけないわけ。つまり住所や生年月日にとどまらない、血液型や遺伝子情報、アレルギー情報といった自分の超個人情報を外部に伝えることになる。

 それら超個人情報はいろいろな使い方ができるだろう。たとえば、どこかのSFで描かれたような、遺伝子の優劣で就ける職業と就けない職業を決めるような。他にも結婚の前に、その超個人情報の開示を求められ、結果次第では拒否されるといった未来も考えられる。

 また極度に個別化食が進んだ未来では、「同じ釜の飯を食う」という行為は嫌悪の対象になりそうだ。前述したことではあるが「同じ釜の飯を食う」ことは、不要な栄養を摂取する、危険で無駄な行為になるのだから。そうなったとき、これまで同じ釜の飯を食うことで紡がれてきた人とのつながりは失われてしまうのだろうか。

個別化食は食事をつまらないものにするのではないか?

 個別化食が当たり前になったとき「食事」は単なる栄養を摂取するために行為であり、面倒でつまらないものになりそうである。

 本書で摂食障害について言及しており、そこにおいては、摂食障害がある人は自分の中で「食べもの=糖質の塊」という意味しかもてなくなることが、摂食障害の原因のひとつではないか、と論じている。味を楽しんだり、食によって人と思い出を共有したり、料理をという何かを作る行為を楽しんだりといった食の文化的な側面をまったく考えられなくなってしまったのではないかと。

 筆者は「食べもの=糖質の塊」という意味しかもてなくなってしまったのは、栄養思想のいきすぎによるものだと考えている。テレビやネットでは「太る食べ物と痩せる食べ物」や「寿命を延ばす食べ物と縮める食べ物」といった、食べ物の成分に焦点を当て、その成分の善悪を断言するような内容が増えている。「糖質は悪い」「タンパク質はいい」といった言葉を毎日のように浴びせられたら、食べ物の栄養素にばかり目が行き、食事は単なる栄養摂取のための行為になってしまう。

 そして個別化食は、「食事=栄養摂取」という考えをさらに強固にするだろう。というよりすでにそうなりつつある。それはHuelやCOMPに代表される液体タイプの完全栄養食が登場し、都会のホワイトワーカーが愛用していることからもわかる。完全食を日常的に愛用する人にとって、すでに食事は単なるビタミンやミネラルなどの化学物質の摂取でしかなくなっているのだから。実際、完全食を日常的に利用する人は、完全食を「食べる」ではなく「摂取する」と表現している。もはや食事は「食べる」ではなく「摂取する」ものであるのだ。

 今後はより一層、食べ物は栄養の塊だという観念が広がり、摂食障害に苦しむ人も増えるだろう。逆に、その助け舟となるのが、完全食でなるならばいいのだが、残念ながら完全食は値段が高く、誰もが手軽に手に入れられるものではない。もしくは、あらゆる食べ物が完全食になれば、つまり、何を食べても健康維持に必要な栄養素を過不足なく摂取できるようになれば、栄養のことを考えなくても済むようになるのだろうか。そうなれば、食事の味や、文化的側面を楽しめるようになるかもしれない。

 まとめると最近の食と未来の食は、健康寿命の延長が重要課題になっており、そのために心の豊かさをないがしろにしているような気がしてならない。新しいテクノロジーを受け入れるのは結構だが、そのテクノロジーが人間を本当に幸せにするのかについても、しっかり考えなければいけないだろう。

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