『チーズと文明(ポール・キンステッド)』の書評|チーズの歴史を世界史の中で読み解く一冊

日本でチーズを一般的に食べるようになったのは昭和になってからだ。チーズを食べるようになって日本人はまだ100年もたっていない。

当然、日本の伝統料理にチーズは登場しない。

一方で、ヨーロッパ、近東において、チーズは欠くことができない重要な食物であった。チーズは紀元前7000年頃から存在する非常に歴史のある食べ物であり、地域によっては、チーズの存在がその地域のアイデンティティになっていることも。

チーズはある地域においては、文明と深くかかわる食物だ。それを教えてくれるのが、『チーズと文明(ポール・キンステッド)』という本だ。

著者のポール・キンステッド氏は、大学で食物栄養学の教授を勤める人で、乳製品化学とチーズ製造に関して、数々の論文や著書を執筆している。チーズ研究のスペシャリストともいえる人だ。

『チーズと文明』全体要約

チーズは紀元前7000年頃から存在した

チーズの製造の歴史は紀元前7000年頃にまでさかのぼる。

この頃、陶器の製造が可能になり、余剰ミルクを保存できるようなった。

ただし、この頃の人間の大人は牛乳を体内で消化できなかった。ミルクに含まれているラクトースという物質を分解するための、ラクターゼという酵素を思っておらず、大人がミルクを飲むとお腹を壊したという。現在でも一部の人は牛乳を飲むとお腹を壊すが、紀元前の7000年頃は大人の人間には共通の特徴だった。

そのためこの頃のミルクは、もっぱら子供に飲ませるためものとして保存されていたという。

そしてある時、容器に保存していたミルクが酸化してチーズのようなものができた。ミルクがチーズになると、ラクターゼは別の物質になる。これならば大人でも食べられるということで、人類はチーズを食べるようになったというのだ。

紀元前7000年代のチーズ製造の始まりは、新石器時代の大人にとって大きな前進だった。栄養価の高い動物のミルクを幼児から老人まで不可欠の食品にまで高め、保存のきく食品に変化させることに成功したのだ。

チーズと文明 p30

チーズと文明 p30

チーズは神の捧げ物に

人類は文明をつくり社会をつくり、同時に宗教、神、神殿をつくった。そしてチーズは神への捧げものの1つになっていた。

とある神話では、太陽神がチーズを欲しがったと記録しているものもある。またチーズの好みにうるさい神も存在したという。いずれにも、あらゆる地域の、あらゆる社会で生れる神々はチーズを好んだという。

そして今でも語り継がれる聖書にも、度々チーズが登場する。近東、ヨーロッパにおいてチーズは神に捧げられる重要な食べ物であった。

気候、土壌などの地理的条件や政治制度によって様々チーズが生れた

カマンベール、ブリー、チェダー、ゴーダ、エメンタールなど、今日では様々なチーズが存在する。

どのようにしてチーズはバラエティ豊かなになったのか?

分化の要因は、各地の気候や土壌といった地理的条件はもちろんのこと、政治的な要因や社会的な要因もあったという。

たとえば、もともと持っていたチーズのレシピを別の地域で使おうとしら、気候が違い、うまくつくれなかったという。どうにかチーズをつくれないかと工夫した結果、白カビタイプやウォッシュタイプのチーズなどが生れたという。

また中世のヨーロッパに特有の荘園制度もチーズづくりに影響を与えていた。多忙な生活を送るようになった小作人が、忙しい合間をぬってつくれるチーズはないか、ということで考案されたチーズがあったという。

海上貿易が始まると、長時間の輸送でも味が落ちないチーズが考案されるなど、チーズは経済的な要因によっても最適化していった。

フランス北部の農家で行われたチーズ作りでは簡単な作業や貯蔵条件を微調整することで、しだいに予想可能で望ましい結果が出せるようになっていた。「腐敗をコントロールする」と表現するのが最も適切な彼らのやり方が、今日のソフトで熟成したチーズの前身となるものを誕生させたのだった。

チーズと文明 p184

チーズと文明 p184

人類はそれぞれの自然条件だけでなく、社会的な条件にもあわせながら腐敗をコントロールするすべを学んだ。そしてバラエティ豊かなチーズを作りだしていったのだ。

大量生産によって失われる伝統的チーズ

そして近代にはいると、チーズが科学的に解明され、レシピが画一化された。それまでは、乳搾り女・メイドという乳地加工専門のお抱え人の女性がチーズづくりを担い、それを継承していくというスタイルだった。

それが近代になり、画一化的なレシピができることに。これによって、チーズづくりは工場生産にうつり、チーズづくりは専門かつ大量になっていく。

一方で、チーズづくりの工場化は、伝統製法の消滅という負の側面もまねいた。非効率で手間のかかるチーズは、市場原理から排除され失われることもあったという。

二十世紀後半になると、製造規模を拡大できないようなチーズはほとんどアメリカから姿を消した。

チーズと文明 p292

チーズと文明 p292

チーズの名称をめぐる争い

現在ヨーロッパではチーズの産地名称保護に積極的になっている。

たとえばロックフォールチーズのロックフォールという名称は、フランスのロックフォールでつくられたものにしか使用できないようにする、といったように。

チーズは熟成させる食物だ。同じ時間、同じ製法であっても、気候や土壌、地形によって、仕上がりが変わってしまう。たとえレシピが同じでも、他の場所でつくられたものは、オリジナルと違うものになってしまう。だからチーズに同じ名称を使われてしまうと、消費者にも誤解をまねく、というのだ。だからヨーロッパはチーズの名称保護にのりだす。

一方で、アメリカはこういった動きに反対する。というのもアメリカの企業はそういった名称に、ブランド名として巨額の投資をしているし、また、そういった古くからある名称は、一般名称化しているため、その使用が禁止されると困るというのだ。

これは日本においても他人ごとではない。カマンベールチーズやモッツァレラチーズは日本でも一般的に販売されているが、これが保護の対象になると、モッツァレラ、カマンベールといった名称が使えなくなるのだ。

今、アメリカとヨーロッパでは、「チーズは誰のものか?」という、チーズの名称をめぐる争いが繰り広げられているという。

アメリカも何世紀にもわたって築き上げてきた輝かしいチーズの伝統を有している。こうした点から考えると、ヨーロッパのチーズ用語について排他的な所有権を主張できる正当性は法的にも歴史的にもない。<中略>

しかし、ヨーロッパでは古くからあるチーズなどの伝統食品は、いまだに労働の風景や多くの郷土文化の中に存在感を示しており、その地の食文化と文化的伝統の基礎を築いている。また、地方の、さらにその国のアイデンティティや民族の誇りに寄与するところも大きい。

p300

p300

【まとめ】日本の伝統的な食物を考えるきっかけにもなる一冊

要点をまとめると、以下のようになるだろうか。

  • 中東、ヨーロッパ世界では、チーズは神への捧げものに選ばれるほど、重要な食物だった
  • 地理的条件、気候条件だけでなく、政治や社会、経済的な条件によってもチーズは変化した
  • 効率化のなかで、効率化に適さない製法のチーズは失われることもあった
  • 現在ヨーロッパは、チーズの名称保護に積極的になっているが、アメリカはその動きに反対している

本書では日本の出る幕はないが、チーズとヨーロッパ・近東世界とのかかわり豊富な文献から教えてくれる一冊である。

とくに、各地域に広がったチーズが地力的条件だけではなく、政治的な条件によっても分化するという話は、とても興味深い。食文化が地力的な条件だけではなく、政治的な条件にも規定されていくというのは、日本の食文化を考える上でも参考になる。

また本書で紹介される、合理化の流れで失われていく伝統的なチーズや、チーズの名称保護にのりだすヨーロッパの話は、日本も他人ごとではないだろう。

日本にも味噌や醤油、日本酒など伝統的な食物がたくさん存在する。また最近では和牛のブランド化にものりだしている。

これら日本の伝統的な食物をいかに保存していくかは、日本の食文化を考える上でも大切なことだろう。チーズがヨーロッパ人のアイデンティティの1つでもあるように、味噌や日本酒などは、日本人のアイデンティティの1つでもあるといえるのだから。

チーズと文明

 

チーズと文明