70年代、80年代のクレープブームはいつ、どのようにはじまったのか? また当時と現在のクレープはどう違うのか?

「カニクリームクレープ」や「ハンバーグクレープ」など、今では考えられないようなクレープがレストランで提供されている時代があった。クレープがブームであった1970年代、80年代である。

 現在、ストリートフード、ファストフードとして定着しているクレープは70年代から80年代にかけてブームであった。本記事では当時のクレープブームのはじまりの様子を、当時の雑誌から紐解くとともに、当時と現在のクレープの違いについて紹介していく。

目次

クレープブームはいつ、どこからはじまったのか?

 クレープブームは1972年、女性誌『non no』からはじまる。じわじわ盛り上がっていたクレープの熱をさらに加熱させたのが、1976年に渋谷公園通りでオープンしたマリオンクレープである。

クレープブームは1972年、女性誌『non no』からはじまった

 繰り返しになるが、クレープは70年代から80年代にかけてブームであった。クレープブームを80年代からだとする場合もあるが、当時の雑誌を振り返ると70年代にはすでにブームだったと考えられる。70年代にはすでにあらゆる雑誌がクレープを紹介しており、当時すでに多くの店がクレープを販売していたことが分かるからである。

 最初にクレープの特集を組んだのが、当時絶大な人気を誇った女性ファッション誌の『non no』である。同誌は1972年5月5日号で “フランスのお好み焼きクレープ” という見出しで、フランスでのクレープの食べ方とともに、クレープのレシピを紹介した。本格的にクレープを特集した記事であり、クレープブームの幕開け的瞬間だといえる。

 1974年2月5日には同じく女性誌の『an an』がクレープの特集をした。ここではクレープのレシピだけでなく、東京のクレープが食べられる店を紹介している。当時すでにクレープが食べられる店が、東京にはいくつか存在していたのである。ちなみに紹介されている店は、ドイツ料理屋の「ケテル」や、西荻窪のフランス料理屋の「こけしや」などのレストランである。現在クレープといえば、マリオンクレープのような屋台のような店が主流であるが、当時はレストランやのメニューの1つとして、皿に盛り付けるタイプのクレープが提供されていた。

 1975年には、料理専門誌『月刊食堂』(1975年8月1日)でクレープが紹介される。ここではクレープが食べられるレストランとしてユーハイムが紹介されている。今では贈答用菓子の店として知られるユーハイムであるが、当時はレストランもあり、クレープを提供していた。また本誌にはクレープについて、どんな食べ物なのかが紹介されている。

『月刊食堂』は翌年にもクレープを紹介している。1976年2月号では “ポストピザの本命となるか パンケーキとクレープ” という見出しで、クレープとパンケーキを提供する喫茶店やレストランを紹介した。当時渋谷にあった「モンパン」「リビエラ」、京都の「コルドン」、池袋の「トランプリン」などが紹介されている。

クレープブームを加熱させたマリオンクレープ

 1976年にはクレープブームの象徴として認知されているマリオンクレープの1号店が、渋谷の公園通りにオープンする。1号店は大ヒットし、翌年1977年に原宿に2号店を出店。原宿クレープの象徴となる店がオープンするのである。

 マリオンクレープの登場がクレープブームの発端であるとする意見が多いが、当時の雑誌を振り返ると、マリオンクレープがオープンする前から、クレープの注目度は高かったように思える。

 またクレープを提供する店は東京に存在していた。特に1号店がオープンする渋谷には、クレープを提供する喫茶店やレストランがいくつか存在していた。マリオンクレープの創業者がクレープ屋を出店したのも、まさに日本でクレープが注目されはじめていたからではないか。もちろん、マリオンクレープのオープンがその後のクレープブームをさらに盛り上げたことは間違いない。

 ちなみに現在主流の紙に包んで食べるスタイルのクレープを流行らせたのは、マリオンクレープである可能性が高い。70年代の雑誌で紹介される、喫茶店やレストランのクレープはどれも、皿に盛り付けてあるタイプである。現在ではあまり見られない、ナイフとフォークで食べるクレープが、当時は主流であったことがうかがえる。

 さて、クレープを紹介したのは女性誌や料理専門誌に限らない。『週刊朝日』(1974年3月1日)、『女性セブン』(1974年5月29日号)、『週刊平凡』(1976年11月25日号)『ヤングレディ』(1977年10月25日号)、『女性自身』(1978年3月2日)などの週刊誌や、『セブンティーン』『小学五年生』などの10代向けの雑誌でもクレープは紹介されている。あらゆるジャンルの雑誌でクレープが紹介されていた様子から、当時のクレープの注目度の高さがうかがえる。

当時と現在のクレープの違い

 クレープがブームであった70年代、80年代の雑誌を見ていて気づいたことが2つある。クレープの食べ方が現在とは違っていること。そして現在ではあまり見られない、食事系のクレープが多かったことである。

当時は皿で食べるクレープが主流だった

 先にも少し述べたが、当時の雑誌で紹介されるクレープは、そのほとんどが皿にのっている。現在一般的な紙に包んで手に持って食べるタイプのクレープとは違う。現在のパンケーキのような感じである。現在でも、ガレットを提供する一部のレストラン、カフェでは、皿にのせるタイプのクレープが見られるが、圧倒的に少数派である。

 これは手持ちタイプのクレープを普及させたとされるマリオンクレープがオープンした後でも変わらない。

 マリオンクレープは1977年に原宿に2号店をオープンしたが、この店舗は2階建てで、1階は手持ちのクレープを販売し、2階にはテーブルと椅子を設け、皿にのせるクレープを提供していた。今では想像できないが、マリオンクレープも2号店では皿にのせるクレープを提供していたのである。

皿にのせるクレープ
皿にのせるタイプのクレープ。写真は2021年に撮影したもの

食事系クレープの種類が豊富だった

 現在クレープといえば、生クリームやカスタードクリーム、バナナや苺など、甘い材料を使ったスイーツ系のクレープが一般的である。一部のクレープ屋はツナやレタスをトッピングした食事系のクレープを販売しているが、その影は薄い。一方で1970年代のクレープブームの時は、肉や野菜を使った食事系クレープのバリエーションが豊富だった。

 1978年3月2日号の『女性自身』では、クレープを提供しているレストランとメニューの一部を紹介している。鎌倉のレストラン「デューク」のメニューとして紹介されているのが、クレープにエビやサラダをのせ、トマトソースで味付けしたクレープである。他にもクレープバーガーというハンバーグをクレープで包んだ料理も紹介されている。一瞬ウケ狙いなのかと思ってしまうが、当時は割りとかっちり目の洋食屋がこのようなメニューを出していたのである。決してウケ狙いではないと考えられる。

 他にも様々なレストランのメニューが紹介されている。横浜の「くれーぷ屋」は、ソーセージとベーコンをクレープで巻いたメニューを、渋谷の「マジックパン」はピラフのクレープ巻きとカレイのフライのクレープがセットになった”ランチクレープ”というメニューを紹介している。他にもカニクリームクレープ、プラムシチュークレープ、ひき肉クレープなど、今では想像できないような、クレープ料理が紹介されている。

 80年代も食事系クレープは健在である。1982年9月7日の『週刊女性』では “クレープ大図鑑” という見出しで、クレープのポテト巻き、チーズフライドポテト、マカロニサラダ入りクレープ、クレープボンゴレを紹介している。カスタードクリームや果物を使ったデザート系のクレープももちろん紹介されているが、同じ紙面の量で食事系のクレープを紹介している。

 現在では肉や野菜を使った食事系クレープは完全に脇役である。しかしクレープブームの時は、スイーツ系クレープと同じくらい、食事系クレープが存在しており、またその種類も豊富だったのである。

90年代に衰退するクレープブーム 

 1970年代、80年代はあらゆる雑誌でクレープが紹介されていた。またクレープを提供するカフェやレストランがたくさんあり、クレープの食べ方や料理の種類も豊富であった。

 しかしそのブームも衰退する。1990年代になると大衆雑誌では紹介されることがなくなり、専門系雑誌でも、1ページの下半分にクレープが紹介される程度になる。2000年も引き続き大衆的な雑誌でクレープが紹介されることはない。焼き菓子のレシピ本のなかで、ドーナツやホットケーキと一緒にクレープのレシピが紹介される程度である。

 2010年以降は、そば粉を使ったクレープであるガレットが注目されたこともあり、クレープに関する本がやや増える。『ガレットとクレープ』というタイトル、及び見出しで、クレープとガレットが紹介される。しかしここで紹介されるクレープは、クリームやチョコレート、バナナなどをたくさん使った日本的なクレープとは違っており、フランス風とされる砂糖とバターだけのクレープや、チーズと卵のクレープなど、シンプルなものである。70年代、80年代に存在したハンバーグクレープのような料理はまったく見られない。

別のスイーツがブームになったことでクレープブームは衰退したか

 クレープブームは90年代には衰退した。その理由は単純に飽きたというのもあるだろうが、決定的だったのは、別のスイーツがブームになったことではないだろうか。

 1990年代といえば、ティラミス、パンナコッタ、ナタデココ、エッグタルト、カヌレなど、新しいスイーツが次々に登場し話題を集めた時代である。特にティラミスは社会現象となった。村山なおこは『ケーキの世界』(集英社新書)のなかで、ティラミスブームについて次のように述べている。  

1990年代以降の菓子人気は、一部の菓子好きだけでなく一般の人も巻き込む「ブーム」として、つまり一つの社会現象としてクローズアップされるようになってきました。記憶に残る菓子のブームは多々ありますが、中でもティラミスについては「ティラミスという社会現象があった」という表現がふさわしい気がします。 

  ティラミスブームが前代未聞の大きさで広がり、またパンナコッタなどの新興スイーツが注目されたことにより、クレープは急速に注目を失っていったのだろう。

 ただしクレープは完全に忘れられたわけではなかった。ご存知のとおり、現在でも日本のいたるところにクレープ屋がみられる。ブームは終わったが、クレープはしっかりと日本に定着した。今では海外からの観光客が、日本のグルメとして原宿のクレープを買い求める。クレープは日本に定着し、日本を代表するグルメになったのだ。

皿のクレープがなくなり、手持ちクレープが主流になったのはなぜか?

 先に紹介したように、70年代、80年代は皿にのせるクレープを出す店がたくさんあった。しかしこのようなクレープは現在では見られない。現在、見られるのは紙で包んだ手持ちのクレープがほとんどである。どうして皿のクレープは見られなくなったのか。

 おそらくクレープブームの衰退にともなって、屋台のクレープ屋は残ったが、皿のクレープを出すレストランやカフェが閉店したのだろう。

 先に紹介した70年代にクレープを出していたカフェやレストランのほとんどは、現在存在しない。時代に移り変わりとともに店が閉店したのである。あるいは現存する店でも、メニューからクレープを外し、トレンドスイーツであるティラミスやパンナコッタに変えたことも考えられる。

 一方で手持ちクレープを販売する店は、クレープブームが衰退した後も、残った店が多かった。手持ちクレープが現在主流なのも、ここに理由があるのではないか。

 たとえばマリオンクレープや、マリオンクレープと同じ時期に原宿でオープンしたカフェクレープは、今も健在である。手持ちクレープを販売する店の多くは、クレープの専門店なので、ティラミスがブームだからといってティラミス専門店になるわけにはいかない。またそもそも手持ちクレープを販売する店は、店舗が小さく、人件費も家賃も抑えられる。また街のストリートフードとして定着している面もあっただろう。街のたい焼き屋や大判焼き屋のように。これらの理由があって手持ちクレープを提供する店は、ブームが去った後も存続したのだろう。

 逆に、クレープを皿で出していたカフェやレストランは閉店したり、メニューを変えたりした。現在、手持ちのクレープが主流なのは、こういった経緯があるのではないだろうか。

高級系クレープが増えている。現在のクレープ事情

 現在クレープは新たな進化を見せている。これまでクレープは数百円で購入できる手軽なファストフードだった。しかし現在は、1000円を超える高級系クレープが登場するようになっている。

 例えば六本木にあるEQUALLYは、パティシエが作るクレープを提供する店だ。一番安いクレープでも1000円を超えており、2000円を超えるメニューもある。銀座のPARLAでは、1500円を超えるクレープを販売している。また新宿伊勢丹の地下1階の洋菓子コーナーでは、白金高輪に本店を構えるGAZTAが、伊勢丹限定でクレープを販売している。値段は1600円だ。このように現在では、1000円を超えるクレープも増えてきている。

 手持ちスタイルであることは変わりないが、レストランのデザートのような、あるいは目の前でデザートを作ってくれるアセットデゼールのような、ワンランク上のクレープが増えてきている。70年代はレストランやカフェのデザートとして提供されたクレープは、ブームの衰退とともに、街中で売られるファストフード、ストリートフードとして定着した。それが時代を経て、またレストランデザートのような上品なものが普及してきたのである。

おわりに

クレープについて調べるようになったのは、ミルクレープの歴史を調べたことがきっかけである。ミルクレープの発祥や発展の歴史を探る上で、クレープの歴史を遡ることが欠かせなかった。ミルクレープについては以下の本でまとめている。ブログでは紹介していないミルクレープの歴史や特徴を解説している。興味がある方はぜひご覧いただきたい。

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