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食文化・消費文化考察や書評など

なぜ完全食が生まれたのか? 完全食がわたしたちにもたらしたものとは?

 健康を維持にするために必要な栄養素がすべて入っている食べもの完全食、もしくは完全栄養食が注目されている。

 一昔前まで完全食といえば、卵や玄米、その他や肉、野菜、炭水化物がバランス良く入っている食材や料理そのものを指した。一方、最近の完全食といえば、ドリンク状のものや、水に溶かして飲むための粉末、グミやパン、パスタなどが主流である。外資系企業だけでなく、日本のベンチャー企業も開発している。

 

 完全食はスポーツ選手や登山家、自衛隊など一部の特殊な職業の人には重宝するものだろう。また病気や怪我、障害などで、料理や普通の食事ができない人とっても重宝するものだろうし、非常食にも使える。

完全食のメインユーザーはいわゆる普通の人

 一方で完全食は、スポーツ選手でもない、登山家でもない、障害も病気もない、五体満足のオフィスワーカーの「普通の人」と呼べるような人が、普段の食事として利用している例が多いようである。

 ネットの口コミをみてみると利用者の多くは前述のいわゆる”普通の人”であることがわかる。また完全食として有名なCOMPやHuel、BASE FOODの広告をみても、”普通の人”をターゲットにしていると思えるキャッチコピーが並んでいる。

 何より完全食の開発者の多くは”普通の人” だ。たとえば完全食の草分け的存在といわれているSOYLENTの開発者は、シリコンバレーのITエンジニアだ。日本でも人気のBASE FOODの開発者も、もともとはIT企業につとめる会社員だ。多くの完全食は、開発者自身が普通の人で、自身が完全食を強く求めたことが原動力となった開発された。

※参考
完全食:ソイレントの夢 | WIRED.jp
『BASE FOOD』開発秘話「働きながら健康的な食生活って無理じゃない?」 20’s type - 転職type

 

 いうなれば完全食は、普通の人による、普通の人のためのアイテムなのだ。

なぜ完全食が求められるのか?

 それにしてもなぜ、病気でもない、障害もない、特殊な仕事についているわけでもない、スポーツ選手でもない、そんな普通の人ばかりが、普通の食事ではなく完全食を求めるのだろうか?

 その理由は手早く、効率的に栄養素を過不足なく摂取したいという願望があるからだろう。何も意識せず好きなものだけ食べていると、糖質や脂肪ばかり優先的にとってしまう。その生活を続ければ、生活習慣病を患う。入院することになれば、お金も時間もかかるし、何より肉体的にも精神的にも苦痛をともなう可能性が高い。食事に気をつかわない生活の先に待っているのは、ネガティブなことだらけだ。

 ネガティブな未来を迎えないためには、日々の食事に気をつけ、健康維持に必要な栄養素を過不足なく摂取する必要がある。

 しかしこれが簡単ではない。まずどんな栄養が自分に必要かを知らなければいけない。必要な栄養素を把握したら、どの食材にその栄養がふくまれるかを知らなければいけない。必要な栄養がふくまれる食材がわかったら、その食材を購入できるだけのお金を用意し、少々の時間を使い購入し、必要であれば料理しなければいけない。しかしこの料理が大変で、調理道具を揃えたり、レシピを調べたり、後片付けをしたり、やるべきことがたくさんある。

 だからといって外食をするにしても、自炊の倍以上の値段がかかる。しかも外食ではたいてい、たいてい脂肪や糖質、塩分が多くなってしまう。何よりも食べるという行為そのものには、時間がかかる。

 

 たとえ食事が美味しくても、健康を維持すための食事を毎日続けには、時間もお金も精神力も必要だ。バランスを考えた食事は金も時間も手間もかかって面倒だ。仕事や趣味に忙しい人によっては苦痛にすら感じるだろう。

 そして完全食はそんな食事にまつわる面倒さと苦痛を和らげるために登場した。

栄養の存在を知ったせいで、食事は苦痛なものになった

 本来、食事は楽しいものであるはず。しかし「日々の食事に気をつかい健康を維持すべき」という観念によって、食事は面倒で苦痛なものになってしまった。

 白米ばかり食べていた昔の日本人は脚気という病に苦しんだ。乾物や漬物ばかり食べていた昔のヨーロッパの船乗りは壊血病に苦しんだ。この2つの病気は、当時は原因不明とされていた。脚気についてはウイルスが原因だという説もあったほどだ。科学の進歩は、それらの病気の原因が、偏食によるビタミン不足であることを突き詰めた。

 

 ビタミンをはじめとする栄養は、肉眼では確認できない。しかしその目にみえないものが重要であると科学は解明した。そして一部の病気は、普段の食生活に気をつけることで防げることも解明した。しかしその解明には副作用もあった。食事が、一部の人にとっては苦痛すら感じるほど面倒になってしまったことだ。

 

 栄養の存在と役割を知ったわたしたちは、もう知らなかった頃には戻れない。脂肪とか糖質とか、カロリーとか塩分とか、そんなものを考えずに、食べたいものを食べたいだけ食べていた過去に戻ることはできない。ギトギトのラーメンを、大盛りのカツカレーを、たっぷりバターを使ったクロワッサンを、罪悪感なしに食べることはできない。

 

 病気になる苦痛を未来に先延ばしにする代わりに、食事という幸せだったはずの行為を面倒で苦痛なものにしてしまった。しかしその苦痛を和らげてくれるものが現れた。ドリンクタイプやグミタイプの完全食だ。

 完全食は食事を楽しいものに戻してくれるわけではない。しかし食事の苦痛を少しばかり和らげてくれて、他のことに時間と精神力を割く余裕を与えてくれる。

 

最初完全食をみたときは、「まさにディストピア飯だ」と嘲笑していたが、そのディストピア飯も案外悪くないのかもしれない。