健康第一主義はなぜ危険なのか、どう危険なのかを考える|『健康禍 人間的医学の終焉と強制的健康主義の台頭』内容紹介と感想

書評・書感

「健康第一」という言葉があるが、本当に健康は生きるうえでもっとも大切なものなのだろうか。たしかに健康は大切だ。病気になれば少なからず苦痛に襲われるし、通院や入院でお金と時間が失われる。健康的な生活で不死身になれるわけではないが、それでも健康に気を配ることで避けられる不幸があるかもしれない。

 しかし、健康を第一と考えるかどうかは個人の自由である。他人から禁煙しろ、禁酒しろ、コレステロールを抑えろ、野菜を食べろなどと、押し付けられる筋合いはない。毎日ジャンクフードを食べていても、それでいて本人が満足であり、そのリスクもある程度理解しているなら、ジャンクフードを続けるのは本人の自由だ。本人にはその権利がある。しかし最近はどうだろうか。

 テレビ、書店、広告には「健康であれ」というメッセージであふれている。健康であることはもっとも尊い価値のように、健康であることは最上の幸福であるかのように、国家や医者、企業、赤の他人は、健康であることを押し付けてくる。その息苦しさたるや。四六時中、健康のことを考えて、精神が病んで死ぬではないだろうか。

 個人の自由を尊重する国のはずなのに、なぜこんなに息苦しい思いをするのか。いつからこんな世の中になってしまったのか。赤の他人が健康であることを押し付けてくる世の中には、どんな危険がまっているのか。それを教えてくれるのが『健康禍 人間的医学の終焉と強制的健康主義の台頭』(ペトル・シュクラバーネク著、大脇幸志郎訳、生活の医療)である。

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内容紹介

この本は、健康主義が招く危険について本である。健康主義とは「国家の健康」を志向するイデオロギーである。 

 本書の主題は健康主義である。健康主義とは、資本主義や資本を最大限に重んじるように、自由主義が個人の自由を最大限重んじるように、健康を最大限重んじるイデオロギーである。より簡単にいうなら、国家が健康を絶対的な善だとみなし、国民に健康維持を推奨することである。それはつまり、不健康なことのすべてを否定する。その社会とは、その危険性とは。本書はそれを解き明かす。

行き過ぎた健康主義は優生思想と結びつく

 第一部では健康主義を痛烈に批判する。冒頭から非常に刺激的である。

極端な健康主義は人種差別を、隔離を、優生学的コントロールを正当化する。なぜなら「健康」とは愛国的で純粋であることを意味し、「不健康」とは異質で汚染されていることに等しいからである。

 国家が国民に健康であることを推奨することの、何が悪いのか、一見、ピンとこないが、上記の一文ではっとさせられる。健康主義の行き過ぎは、個人の自由を侵害し、優生思想や差別を肯定することになるのだと。たとえそれが、自由を尊重する民主主義国家であっても。

 健康であることを絶対善とすれば、その反対である不健康は絶対悪になる。では、健康とはどんな状態か、不健康とはどんな状態か。身体に少しでも痛みや違和感があるなら、それは不健康であり矯正すべきなのだろうか。痛みや違和感を放置し、不健康な状態であることは国家の言いつけを守らない非国民ということになるのだろうか。あるいは医者のいいつけを守らず、酒を飲んだり、タバコを吸ったり、塩分や脂質が多いものを食べたりすることも、非国民とされるのだろうか。厳密に考えれば、健康と不健康の線引きなんてできない。それでも健康主義を押し通すことが、自由と人権を重んじる先進国、たとえば日本やアメリカやイギリスなどでありえるのだろうか。

 しかし、もうすでに、健康主義は先進国のなかでも進みつつあると本書は説明する。

「病気は自ら招いたもの」と決めつけられる

 健康主義はもともとナチスドイツやソ連、大日本帝国などの全体主義国家にみられたものであったが、1970年頃になると、民主主義国家で、健康主義がみられるようになった。

 たとえば1970年頃、アメリカの厚生省から『健康のための未来計画』という報告がなされた。その内容は「たいていの人の死因が不健康は生活習慣であり、また不健康な生活習慣によってコストが増大しているという」というものだった。この報告によって「多くの病気は無責任な生活習慣によって、自ら招いたもの」とされた。「自ら招いたもの」、つまり病気は自己責任である、という決めつけがなされた。

「自ら招いたもの」とは恐ろしい言葉である。病気の究極的な原因なんて本当はわからないはずだ。先日、健康番組に、心臓病の経験がある俳優が出演していた。その俳優は日頃から適度に運動をし、健康的な食生活を心がけていたと自己申告する。にもかかわらず心臓病になった。さて、この俳優が心臓病になったのは、この人の生活習慣に問題があったからなのだろうか。自己責任なのだろうか。健康的な生活を心がけていたというのは自己申告でしかなく、隠れて脂っこいものを大量に食べていたかもしれない。あるいは座っているときの姿勢が若干悪いことが原因かもしれない。探せばいくらでも原因になりそうなものは見つけることができる。1つでも原因のようなものが見つかったら、自己責任なのだろうか。

 どんなに健康に気を配っていても、病気にはなる。死ぬときは大方、何かの病気になる。病気が、自ら招いたものというのは、恐ろしい限りである。しかし1970年頃のアメリカで、そういうメッセージが厚生省から発信されたのだ。そしてこのメッセージは、以降、他の国でも模倣されたという。

 ちなみに第一部の冒頭で著者は、健康主義を宗教の代用品だと述べている。

健康主義は強力なイデオロギーである。なぜなら、非宗教化した社会において、健康主義は宗教が欠けたあとの真空を埋めてくれるから。宗教の代用品として、健康主義は幅広い支持を得ている。特に、伝統的な文化とのつながりを失って、急速に変化する世界の中でますます不安を感じている中流階級の人たちから。

 健康という、本当に存在するのかしないのかわからないものを信仰する様子は、たしかに宗教的である。

生活習慣に口出しするようになった医者

 もともと医者の仕事は、病気や怪我を治すことや、感染症を減らすために水道や屠畜場、食品流通の衛生管理を促すことになった。しかしあるとき医者は、先制的医療という、多因子疾患について言及するようになった。多因子疾患とは、高血圧やいわゆるがんなど、生活習慣病と呼ばれるものである。それを未然に防ぐために、酒を飲むな、タバコを止めろ、適度に運動をしろ、人間ドックを受診しろなど、医者があるいは国家、企業が、生活習慣にまで口を出すようになった。そして私たちは四六時中、健康のことを気にして狼狽する、不健康な状態になった。

生活習慣に介入にする医者、国家

 第二部ではさらに具体的な話になる。国家、医者、企業が、健康主義の名のもとに、いかに生活習慣に介入しようとしているかを具体的な事例から説明している。

「食品主義」と題した項目では、国と医者が指定する食事に関するガイドラインについて批判している。代表的なものとしてコレステロール値だ。コレステロールは摂りすぎると心臓病の原因になるとして「摂りすぎるな」と警告され、注意すべき食べ物や推奨される食べ物、推奨される生活習慣が提示される。

 イギリスでは1976年に、コレステロールをやり玉に挙げ、食事のガイドラインを作ってきた。それから数年で、国民の食生活には変容がみられたそうなのだが、コレステロール値に変化はみられなかったという。

食事キャンペーンが国民全体のコレステロール値に少しでも影響しただろうか? 国民食事調査の結果によると、イギリス人は卵を食べなくなり、バターは100年前の半分になり、砂糖も減り、低脂肪乳を飲むようになり、 多価不飽和脂肪の割合は増えた。洗脳されてご苦労なことだが、それでも全人口平均の血漿コレステロール値は同じだった。

 コレステロールを気にすべきか否かは、その後も何度も議論されているが、それでも国家はコレステロールをあるものにし続けている。こういった大した根拠もないのに、特定の食べ物や成分、生活習慣が悪者になったり、逆にヒーローになったりする例が、第二部では紹介されている。「世界の人々を健康に」というスローガンを掲げる割には世界で起きている貧困問題や戦争に関心がないとして、WHOも批判の対象になっている。

 日本でも流行りの食べ物がつぎつぎに変わる。納豆やバナナがスーパーフードになったり、その逆でマーガリンや白砂糖、グルテンといった特定の成分が悪者にされたりする。どの薬にもほぼ必ず副作用があるように、どの食べ物も良い面と悪い面があるだろう。ワインはポリフェノールがあるから良いとされているが、酒なので飲み過ぎは禁物である。同じくコーヒーもクロロゲン酸だかなにかが入っているので身体にいいとされているが、飲みすぎれば胃が荒れるし、カフェインの摂りすぎには注意が必要だ。どの食べ物だって、見方によって悪くも良くもなる。

 アメリカのとある委員会は、「アメリカでは主要な10種類の死因のうち6種類が食事との関係を指摘した」という。これに対して著者は「人は食べると死ぬらしい」と述べた。冗談のように思えるが、断食、あるいはプチ断食が流行っている様子をみると、「食べると死ぬ」と本気で捉えている人たちがいるようだ。

健康主義は善人のふりをする

 国家による健康主義は、それが善意の顔をしているからたちが悪い。私たちは誰もが健康でありたいと考えている。怪我や病気を経験すると、その苦痛から「もうあんな思いをしたくない」と強く思う。国が健康第一を掲げることは、自分の健康にとってもメリットがあることだ。WIN-WINである、ように見える。しかし健康主義の名のもとに、私たちの自由は気づかないうちに、ゆっくり奪われていっている。もはや健康主義による全体主義、「健康ファシズム」である、と論じるのが第三部である。

 ここで著者は、公衆衛生分野において私的生活を管理する企みを「人間の顔をした健康ファシズム」あるいは「友好的な健康ファシズム」と表現している。なぜなら国家や医者は、「あなたの健康のためですよ」という体裁で、人を監視し、自由を奪うからだ。そしてそこに危険が潜んでいる。私たちは気づかないうちに、自由や匿名性を明け渡し、気づいたときには監視と強制の社会を迎えてしまっている可能性があるからだ。

 著者は健康であることを否定しているわけではない。また医者にかかることを否定しているわけでもない。医学が意思決定を行う社会に対して警戒を呼びかけている。なぜなら医学の主張は常に健康第一だからだ。私たちは健康のために生きているのではない。

書評・感想

健康主義の危険性を伝える一冊

 訳者あとがきでも指摘されているが、健康主義を批判するためにこじつけと思われるような部分や、軽率な決めつけと思われる部分がある。それら細かい点を指摘することで、批判を展開し、本書を雑な本だと断定することもできる。しかし細かい論の指摘は本書の本質ではない。本書の最大の意義は、健康主義が行き過ぎた先に、どんな危険が待ち受けているのか解き明かしたことにある。個々の論が大雑把であろうが、著者の指摘する、健康主義が招く危険性は依然存在する。健康主義は進行し、医者の発言力は増し、私たちの自由は少しずつ奪われているのはたしかなのだから。コロナ禍を経て、特に医者の発言力は増した。

 ちなみに本書は、1994年に出版されたシュクラバーネク『The Death of Humane Medicine and the Rise of Coercive Healthism』を全訳したものである。訳者は医師でありライターでもある大脇幸志郎である。原書の出版から20年ちかく経過しているにもかかわらず、シュクラバーネクの指摘はまったく古びることない。むしろ健康主義はさらに進行しているよう思われる。そういった背景もあり、20年前の著書でも、現在出版する意義があると考えと訳者は語る。

今後さらに健康主義は加速する

 今後、健康主義はどうなるのだろうか。筆者は医者と国家、さらに企業が仲間に加わり、健康主義はさらに加速するだろう。最近では、フードテックという言葉がさかんにかわされるようになっており、国家、医者、企業が、テクノロジーを携えて、健康的な生活を推奨している。

 2020年に出版された、フードテック界隈の最新動向を紹介した『フードテック革命 世界700兆円の新産業 「食」の進化と再定義』には、便利すぎて恐ろしいあるテクノロジーが紹介されている。DNA検査とスーパーでの買い物がセットになったサービスだ。これはDNA Nudge(ディーエヌエーナッジ)という企業が開発したサービスで、まず客はスーパーで買い物をする前にDNA検査を行う。1時間程度で検査の結果がわかり、そのデータが読み込まれたリストバンドを客は受け取る。商品のバーコードにリストバンドをかざすと、自分のDNAにマッチしているものは緑に、マッチしていないものは赤く光る。これにより自分の体質に合わない成分が入っている商品を事前に避けることができるというのだ。たとえば、糖尿病の人が、血糖値が急激に上昇する食品を買おうとするとアラートが発せられるという具合だ。

 これは企業が客のDNA情報を管理できることを意味する。さらに進めば、私生活にまで介入できるだろう。スマートウォッチかスマートフォンかなにかを使って、取得したDNA情報をもとに、夕食のメニューを監視し、適宜アラートを出したり、1日1時間は運動をするようにアラートをならしたり。さらに、そのアラートにしっかり従っているかどうかが、保険料に影響してくるようになるかもしれない。

 すでにスマートウォッチでは、運動の記録や体温、心拍数、睡眠時間などを測れるようになっている。そのうち国からガイドラインが出され、そのガイドラインに従うかどうかで、保険料が決まったり、診療費が決まったりするかもしれない。従わない人は不健康であり、非国民だとして、差別されるようになるかもしれない。シュクラバーネクが指摘するように。

 今後は最新テクノロジーと結託した「便利」というお題目も追加される。「便利」で「健康」という、親愛なる監視社会ができあがり、私たちの自由はなくなる。自己決定権という言葉が形骸化していく。テレビで放送されている健康番組で、生活習慣病が騒がれているあいだはまだ大丈夫かもしれない。一方で、人々が生活習慣病を克服しはじめたら、それは健康主義が極まった証拠だ。その社会では、タバコも酒もない。ラーメン二郎も、脂肪たっぷりのフラペーチノもない。誰もが適度に運動をし、適度に睡眠をとる。すべての人が、医者と栄養士のガイドラインに完璧に従った生活を送っている。そんな社会になっているだろう。まるでロボットだけの社会のように。

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