日本はいかにしてグルメ大国になったのか? 日本の外食歴史を総観する一冊『日本外食全史』(阿古真理著)の内容紹介と感想、書評

 東京はミシュランで星の数がもっとも多い都市であり、また日本は世界主要32国のなかで飲食店の数がダントツで多い国である。なぜ日本はこれほどまでにグルメな国なのか。その秘密を解き明かすとともに、懐石や居酒屋、やきとりから天ぷらといった和食から、オムライスやハンバーグといったら洋食、そしてフレンチ、イタリアン、エスニックなどの日本の外食の歴史を、豊富な文献からたどっていくのが『日本外食全史』である。

 著者は、生活史研究家の阿古真理氏であり、同氏は他にも『なぜ日本のフランスパンは世界一になったのか パンと日本人の150年』や『昭和の洋食 平成のカフェ飯 家庭料理の80年』など、日本の近現代の食文化を考察した著書をいくつか執筆している。同氏の著作をいくつか読んでいる筆者からすると、ついに、という感じである。

 さて、本記事では『日本外食全史』の内容紹介と感想を紹介していく。

【内容紹介】日本人のグルメ化と外食全史を概観できる一冊

日本がグルメ化した経緯をたどる第一部

 本書は二部構成になっている。第一部では、日本がいかにグルメな国になったのか、その過程を、庶民に外食が普及した1970年頃から紹介している。グルメ化に寄与したものとして、第一章では雑誌や漫画、バラエティ番組などのメディアの存在を紹介する。

 第二章ではグルメ化に寄与した出来事として、世界各国の料理が集められた大阪万博や、裕福な人が急増し、高級料理店に通う人が増えたバブル経済期、そして1964年に海外旅行自由化によってフランスやイタリアなどに料理修行にわたり、1970年頃に、そこから帰省した本場の味を知る人たちが店を開くようになったことなどを紹介する。

 第三章では、フードツーリズムとローカルフードをグルメ化の要因として紹介する。全国津々浦々に存在するローカルフードが『秘密のケンミンショー』のようなバラエティ番組によって認知されるようになったり、グルメとセットになったパック旅行が企画されたり、旅行雑誌でご当地グルメがピックアップされるなど、ローカルグルメとそれを楽しむための旅行が企画されたことを焦点にあて、日本のグルメ化を考察する。

外食全史を紹介する第二部

 後半の第二部は、いよいよ全史的な内容である。ここでは和食、洋食、中華について、各ジャンルに分けて、その歴史と発展の経緯を紹介している。前半の和食では懐石料理、精進料理といった格式高い料理から、そば、うどん、てんぷら、ウナギといった、江戸時代にファーストフードとして発展した料理、そしてたこ焼き、お好み焼き、ラーメン、とんかつ、やきとりなどの食べ物が定着した歴史的経緯を紹介している。同じように洋食、イタリアン、フレンチ、中華、エスニック、アジア飯などなど、それぞれのジャンルの食べ物について、各ジャンルの専門書を参考に、その発展をたどっている。

 全体的にいえば広く浅くになってしまうが、それでも各料理の発展経緯を、圧倒的な情報量から概観できる。たとえば、とんかつやそば、うどん、やきとり、うなぎ、てんぷらといった、普段よく食べるものの多くは、江戸時代の終わりから明治にかけて一般的になり、それを提供する店ができている。それというのも、江戸時代が比較的平和な時代であったことや、江戸時代終盤の開国によって、イギリスやオランダ、ロシア、アメリカなどの国から人や物資が入ってくるようになったことが要因としてあった。

 また1970年以降の日本のグルメ化を支えたのは、旅行自由化によってフランスやイタリアなどに旅立ち、本場の料理を身につけてきた人たちであった。餃子やラーメン、中華、焼き肉などは、大戦をきっかけに日本に留まることになった在日中国人や在日朝鮮人たちがその土台を作っている。本書では紹介されていないが筆者の専門分野である洋菓子についてにも同じことがいえる。二度の大戦時に、日本に捕虜として連れてこられたドイツ人やロシア人が、洋菓子屋を開き、本場の洋菓子の味を日本人に伝えたことが、日本の菓子のレベルを上げることに貢献したといわれているのだ。

 このように料理の発展や国民のグルメ化は、政治的な安定、あるいは戦争や外交関係によって、往来が増えたことと深くかかわっていることが、外食の概観を説明した本書から読みとることができる。その意味で、とても読みごたえのある一冊であり、日本の外食を調べるときはまず参照したい本である。

日本のグルメ化は料理人たちの研鑽によって成し遂げられた

 本書のエピローグでは、日本のグルメ化の要因がまとめられている。簡単に要約すると、まず1つの要因として挙げられるのが、接待の減少や長引く不況によって、高級料理店の料理人がリーズナブルなお店を開くようになり、そういったお店に人が集まり、庶民に本物の味が広まったことにある。舌が肥えた人が増え、美味しいものを求める人が増えたのだ。もう1つの要因は、各料理人たちが絶えず自身の技術を研鑽し、レベルの高い料理を広く提供してきたことにある。

 主にこの2つの要因が、高くて美味しい店も、安くて美味しい店が膨大にあるの、グルメ天国日本をつくりあげたのである。その他、近年のインターネットの普及も、グルメ化の寄与している説明する。

 筆者としてはやはり、料理人たちが絶えず自身の技術を研鑽してきたことが、日本のグルメ化にもっとも貢献しているのではないかと考える。日本では、料理人が本場の味を学ぶために、海外修行にでるのが当たり前となっている。本書でも紹介されているが、1970年代、急速に進んだグルメ化は、イタリアやフランスなどで修行した料理人たちが帰国し、店を開いたことが要因の1つであった。他にも、中華料理において四川や香港で修行する人が紹介されている。ちなみに筆者は洋菓子屋を利用することが多いのだが、パティシエの多くは、フランスやスイス、ドイツなどで修行を積んでいる。ラーメンや和食の世界でも、有名店や一流店で修行する人が多いのは、ご存知のことだろう。

 このように、美味しいものを作るために本場に出向き、本場の味と技術を習得することが慣習として存在する。最近では、YouTubeや料理本などで勉強して店を開く例もあるようだが、それでも努力とこだわりは並のものではないはず。どこでも美味いものが食べられる日本の特異的環境は、こういった本場、本物を目指すシェフたちの姿勢の産物なのである。

グルメ化はさらに進むのか、それとも…

 本書はコロナ禍に出版されており、コロナ禍が飲食業界に与えた多大な影響と、苦悩する飲食店の様子についても少し触れている。苦悩した店や閉店した店もあるが、一方で、コロナ後はさらに日本のグルメ化が進むのではないかと、本書のエピローグでは予想している。

 というのも最近では、飲食店の労働環境の改善や、環境問題への取り組み、など社会的な意識の高さや、店の清潔感などがより一層求められるようになってきているからだ。社会的な意識の高さや店の清潔感などの要素が、美味しさやサービスとともに求められるようになり、この状況が飲食店をさらに革新へと向かわせ、さらにグルメ化も進むのではないか、そう述べている。

 一方で筆者は逆の未来も考えてしまう。つまりグルメ化とは逆方向の、食文化が貧しくなるという未来である。最近は、「あれを食え」「これを食うな」という食の押しつけが強くなる一方である。健康意識の高まりや、適切な体型を維持すべきという社会的圧力によって、高カロリーの食べ物や、高糖質や塩分過多の食べ物は避けろといわれる。動物愛護や環境保護意識の高まりから、肉や乳製品、魚はやめて、植物由来のものだけ食べろと押しつけられる。環境保護や動物愛護はもちろん大切であるが、何を食べるかは個人の自由である。しかし、食とモラルがイコールになりつつあり、食の選択肢は日々、狭まりつつある。

「健康的な食生活を続けろ」「太るな」「動物を搾取するな」「環境を守れ」。食におけるこれらの押しつけは、あらゆる場所で、専門家のエビデンスつきで、日々発信されている。もはや何を食べても誰かに怒られそうな状況である。違法なものを食べているわけではないのに。こんな社会では、何を食べていいのかわからなくなってしまう。プチ断食のブームや、ドリンクやグミタイプの完全栄養食が重宝がられる背景には「何を食べていいのかわからない」という人たちの存在がありそうだ。

 今後、食における押しつけはさらに強くなるだろう。より一層、何も食べない人が増えるか、あるいは過不足なく栄養を摂ることができ、動物も人も環境も搾取しない、SF作品に登場するいわゆるディストピア飯のようなものを食べて暮らすようになるのだろう。その未来では、食の意味は生きるための栄養摂取にすぎず、食の娯楽性は消え失せている。そんな悲観的な未来も想像してしまう。

 たとえディストピア飯で暮らす未来を迎えたとしても、イタリアンディストピア飯やフレンチディストピア飯など、ディストピア飯のなかでのグルメ化は進むかもしれない。あるいは培養肉から派生して、培養ユッケ、培養シャトーブリアンのように、誰も搾取しない食材でグルメ化が進むのかもしれない。そういった未来なら食の娯楽性は健在で、楽しむ余地はあるかもしれない。ただし、その楽しみを享受できるのは一部の富裕層だけ、ということになりそうだ。それはまったく楽しそうな未来ではない。いずれにしても、現在のグルメな日本ほどの魅力はない。

 そんな悲観的な未来を想像してしまう昨今であるが、『日本外食全史』は食の楽しさを再確認させてくれる一冊であった。食べるという行為の楽しさや美味しいお店を探す楽しさ、美味しいものを食べる楽しさ、新しい味覚に出会うことの楽しさなど、食の魅力を再確認させてくれた。と同時に先代が築いてきたこの豊かな食の文化を、誰も、何も搾取しない形で、どうにか保存し、さらに発展させていく方法を考えなければいけないという思いも抱かされる。そんな一冊である。