人を神の食べ物として犠牲にすることを人身御供といい、それを語る物語のことを人身御供譚という。日本には、この人身御供譚を付帯している祭が無数に存在している。尾張国府宮の「儺追祭」や山形県の椙尾神社の「大山犬まつり」などあげればキリがないが、これらの祭はその儀式において、「かつて人を生贄にしていた」という人身御供の語りが付帯しているのである。そしてこの人身御供譚を様々な祭から考察していくのが、『神、人を喰う―人身御供の民俗学』(六車 由実)である。
本書は、人が神の犠牲になるという事実が本当に存在したのかを検証していくものではない。また祭において、人の命や動物の命を捧げることについての是非を判断するものでもない。本書の狙いは、人身御供譚が果たしている役割を考察するものである。すなわち、ある祭において「かつては人が殺され捧げられていた」と語られることは、私たち、あるいはその祭りが行われる地域の人々に、どのような影響を与えているのか。私たちは人身御供譚から何を感じ、何を考え、どう生きることができるようになるのか。本書はこれを解き明かすものである。
生の実感を呼び起こすための人身御供譚
本書が述べる人身御供譚の役割は、生き物を殺すことの暴力性を呼び起こし、自然とのつながりを感じるともに、生の実感を感じることである。
人身御供譚は農耕社会でよくみられるものであり、また「人を殺して捧げていたがそれが動物になり」という途中経過の話もセットで語られるという。人身御供譚が農耕社会でみられる理由としては、狩猟採集から農耕社会への移行で自然との距離が生まれたことにある。狩猟採集をしていた時代は、動物を殺して喰うと同時に、自身が喰われる可能性があった。人間が動物の命をもらって生きる代わりに、人間も動物に喰われ、動物に生をつなぐ存在であることを実感しながら生きることができた。
しかし農耕社会への移行によって、自然のなかに存在する喰う・喰われるの関係から遠ざかった。祭において、動物が生贄として捧げられるようになったのは、希薄になった自然との関係を呼び起こし、生を実感するためである。多くの祭では生贄となる動物を暴力的に殺し、それを参加者で食べていた。これによって、人間がもともと動物と同じように喰うか喰われるかの関係のなかにあったことを思い出し、生を実感していたのである。ちなみにこのような祭において、動物が生贄になる前は、人間が生贄にされていたのか、実際はどうだったのかは書かれいないし、検証もしていない。それは本書の主題とするところではない。ただこのような祭では、常に「かつては人が捧げられていたが、それが動物になった」と語られという。
動物を生贄として捧げる祭は時代とともに変容する。イノシシやヒヒのような動物を生贄にしていたのが、うさぎになり、魚になるなど、徐々に小型化していく。また別の地域では動物が人形に置き換わる。このような変容が生じたのは、中世に広まった動物を殺すことをタブー視する殺生罪業観が広まったからだ。
殺生罪業観が広まりによって、祭の生贄が変容することで、祭に付帯していた動物を殺し、喰うという暴力性が希薄になるとともに、人間が生を実感する機会が失われていく。そのなかで現れてきたのが「かつては人を殺し、お供えしていた」とする人身御供の語りであった。人身御供の語りは、希薄になった暴力性を再び思い出すために発生した。
日本の農耕社会は、生き物を自らが殺す、という行為をできるだけ排除することで発展してきた。 それは、殺生による暴力を振るわないですむと同時に、動物と対峙することによって必然的に晒される身の危険、すなわち自らが殺されてしまうかもしれない、という人間が自然から受ける暴力を免れることでもある。しかし、人間が生きていくことは、生き物の犠牲の上に成り立っているのであり、そこでは人間もまた喰われることで生き物に生を与える存在であるはずだ。人々は、暴力を排除しようとする一方で、稀薄化した生の実感をもう一度身体に呼び覚ましたいと願う。だからこそ、人が神に喰われるという恐ろしい人身御供譚が長い間伝承され続けてきたのではないか、そう私は考えている。
「かつては人を殺し、お供えしていた」という語りは、人間も他の動物と同じく、喰うか喰われるかの存在であること、多くの動物に生をつなぐ存在であることを私たちに思い出させる。これにより私たちは、生の実感を感じるのである。
本書ではこのように人身御供譚の機能を考察するために「かつては人が犠牲になっていた」と語られる祭をいくつか紹介している。たとえば裸の男が、1人の男を囲んでもみくちゃにするような儀式がある「尾張国府宮の直会祭」や、女性が神前に神饌を備えるような儀式が存在する数々の祭、神前に人形を供える祭、人間の形をした神饌を供え、それを参加者で食べる儀式がある祭などを紹介している。そしてそらの祭りの共通項、たとえば農耕社会にみられるといった特徴を抜き出すことで、人身御供譚の役割を炙り出している。
本書から読みとれるのは、人身御供が実際にあったかどうかではなく、人身御供譚がなぜ必要とされたのか、人身御供が語られる背景には何があったのかである。そして私たちの先祖が何を考え、どんな物語を必要としたのかを本書は教えてくれる。
人が喰われる物語はなぜ熱狂を集めるのか
本書は、現在でも絶え間なく語られる人が喰われる物語を考察する上で大きな示唆を与えてくれる。 ゾンビ映画をはじめとして、吸血鬼に喰われたり、鬼に喰われたり、生身の人間に喰われたりする物語は絶え間なく存在し、人気を得ている。最近のマンガであれば『進撃の巨人』『東京喰種』『鬼滅の刃』はどれも人が喰われる物語である。
このような人が喰われる暴力的な物語は、なぜ常に生産され、熱狂を得るのだろうか。『神、人を喰う』を参考するなら、それは希薄になった暴力性の思い出し、生の実感を得るためであるといえそうだ。
私たちは歴史上まれにみる安全な暮らしをしている。一昔前のように戦争や感染症、旱魃や災害で大量に人が死ぬことはなくなった。依然として事故や病気で死ぬ可能性はあるが、普段の生活で死を意識する機会はほとんどない。これは喜ばしい事実であるが、その反面、ニュースで流れる誰かの死は他人事として消費される。私たちはますます生を実感できなくなった。
そんななか、ある人は、生の実感を得るために無意識に人が喰われる物語に惹かれ、人が喰われる物語を作ってしまうのではないだろうか。そして私たちも、生の実感を得るためにそういった物語に熱狂してしまうのではないだろうか。死を意識する機会がほとんどなくなった私たちは、生の実感を得るためにどこかで人が喰われる物語を求めてしまう。かつて日本人の農村民は生の実感を得るために身御供譚を必要とした。過去の人々と同じように私たちは、人身御供譚の代わりに人喰い物語を求めているのだろう。