マニュアル化、合理化のために人間性を排除した資本主義の権化として、ジャンクフードの代表格として、一部の人から忌み嫌われるファーストフードチェーン「マクドナルド」。
しかしマクドナルドが提供しているその空間を見てみると、インフラの充実度に驚かされる。冷暖房が完備され、電源、Wi-Fiも利用できる。それなりにきれいなトイレも自由に利用でき、しかも朝から晩まで営業している。24時間営業の店舗まである。そしてマクドナルドが提供するこれらのインフラは、100円のドリンクを購入すれば利用できる。
また場所としての自由度も高い。他人の迷惑をかけないかぎり、談笑もゲームもPCも勉強もテレビ電話もOKだ。ルノアールやコメダ珈琲店のようにくつろげるわけではないが、自由度の高さでいえばダントツではなかろうか。
一応企業が運営する場所として店員の監視がある。突っ伏して寝ている客がいても注意することはあまりないが、子を持つ親としては、子どもがそのへんの道や公園で遊んでいるよりも、マクドナルドで遊んでいてくれるほうがまだ安心できるのではなかろうか。
そんなお店が深夜まで営業しているのだから街にとってこれほどありがたいことはないだろう。これまで24時間営業が当たり前だったファミリーレストランやコンビニは、最近は深夜営業を止める店舗が増えてきている。マクドナルドも深夜営業を止める店はあるが、それでも街の深夜の灯りとして、つかの間の灯りを提供してくれる場所としてマクドナルドは社会インフラになっている。
幅広い年齢、人種が行き交う場所としてのマクドナルド
そんな安価、便利、快適なマクドナルドには実に色々な年代、人種の人が行き交う。
地域によって若干客層は異なるが、住宅地のマクドナルドは家族連れやカードゲームをしている小学生4人組、談笑する高校生や学生、PCを広げるスーツ姿の人、特に何もせずぼーっとすわっている老人、読書をする中年女性など実に様々な人がいる。だからこそ気軽に入店でき、思い思いの時間を過ごせる。
また店員に目を向けてみると、その多様性に驚かされる。大学生のアルバイトからパートのおじちゃん、おばちゃん、そして片言の日本語の外国人など、年齢だけでなく人種の幅も広い。
ここまで幅広い年齢、様々な人種、バックグラウンドをもった人が集まった店は珍しい。たとえば同じくグローバルチェーンのスターバックスは、マクドナルドと対極的で、客と店員の属性は非常に偏っている。スターバックスの店員は9割が20代から30代の、整ったルックスの日本人だ。そういった人を優先的に採用しているのか、もしくはそういった人しか応募してこないのかわからないが、とにかくスターバックスの店員は日本全国、同じような属性の人である。客についても同じことがいえる。どこのスターバックスを利用しても、同じような属性の人しかいない。
マクドナルドのなかには多様性が存在している。マクドナルドにいくと幅広い年代、人種の人が同じ街に暮らしていることを自覚させてくれる。その意味では他のフードチェーンよりも公共性があるといえるのではないだろうか。
環境問題にも取り組みはじめたマクドナルド
最近のマクドナルドは、グローバルな問題への取り組みにも積極的であるという姿勢を見せている。公式サイトには「持続可能な食材調達」「気候変動への取り組み」「パッケージ&リサイクル」などの項目を設けて、あらゆる問題に取り組んでいることをPRしている。
環境問題や社会問題に取り組む姿勢は、日本のフードチェーンよりも進んでいるように思える。というのも日系のフードチェーンの多くは、食品の品質と安全性のPRで終始しているからだ。一方のマクドナルドは品質、安全性に加えて環境問題や倫理的調達にも配慮し、よりグローバルな視点に立っている。公式サイトの情報を見ただけで、実際どうなのかはわからないが。
おわりに|マクドナルドを考え直す
マクドナルドといえば、腐らないポテト、プラスチックの油などなど、ジャンクフードの代表とされている。またマクドナルドの合理化をすすめる姿勢は、人間性をないがしろにする産業化の悪しき側面の象徴として、批判的に語られる。実際、マクドナルドを題材に、資本主義や現代社会を批判する本は山ほど売られている。批判しようと思えばいくらでも批判できる。
一方でマクドナルドが提供している空間に目を向けると、地域の社会インフラとして重要な役割を担っていることがわかる。SDGsの意識の高まりでマクドナルドのような資本主義の代表のような飲食店は批判されることが増えるかもしれない。一方でマクドナルドが社会に提供しているポジティブな側面にも注目してもいいのかもしれない。