ナポリタン、オムライス、ハヤシライス、焼きそば、メロパン、ショートケーキなど、現在日本で定番になっている料理は、どこの誰が、いつ考案したものなのか。そのルーツを探ったのが『オムライスの秘密 メロンパンの謎: 人気メニュー誕生ものがたり』(澁川祐子 新潮文庫)である。
本書は料理のルーツがわかるだけの本ではない。「歴史とは何か?」を考えさせられる本である。
料理のルーツを調べるにあたって、店や人に取材せず、文献のみで調査を進めている。ナポリタンやオムライスなど、近現代に登場し、日本で定番になっている料理のルーツは、本や雑誌、ネットにも詳しく掲載されており、元祖の店や考案者から直接話を聞いた記事も多く存在する。しかし本書はそういった、元祖とされる店から話を聞くことはしていない。その理由は「直接証言を得たら、その話に引きずられ客観的な判断が下しづらいからだ」。また元祖として知られる店に取材したところで、すでに存在する通説をなぞるだけになってしまう。ゆえに本書では徹底的に文献をあたることでルーツをたどるという手法をとっている。
このような調査方法によって、本書はメディアで通説となっている説を覆すような情報を見つけたという。つまり、それまで元祖とされていた店が実は元祖ではなかったとする情報や、考案したとされている人物の他に実は別の考案者が存在するという情報を見つけたのだ。
たとえば生姜焼きは、その元祖は銀座の「銭形」であるというのが通説である(現在は本書の説が紹介されている場合もある)。 「銭形」は1951年に創業し、当初はふぐを出す店だったが業績がふるわなかった。そこで洋食屋のコックに協力してもらい、メニューに洋食を取り入れると繁盛した。とくに人気だったのがとんかつであった。しかしとんかつは一度に揚げられる量が決まっており、時間もかかる。そこで開発したのが、豚肉と生姜を使った生姜焼きである。
これが生姜焼きの元祖説であり、この説は2011年6月の週刊文春にも掲載されているという。現在でもネットで検索すると「銭形」が元祖の店だと紹介する記事が存在している。一方で、本書はこの説に「最近すぎないか?」と疑問を持ち、文献の調査をすすめる。すると1913年に刊行された『田中式豚肉調理二百種』という豚肉を使った料理を紹介する文献のなかで、現在の生姜焼きにかなり近いレシピが紹介されているのを発見した。つまり元祖となっている店より前に、すでに生姜焼きが存在していた事実を見つけたのだ。
またナポリタンは戦後間もない頃、当時アメリカの進駐軍によって接収されていたホテルニューグランドで誕生したとされている。アメリカの進駐軍は大量のスパゲッティとケチャップを持ち込み、スパゲッティにケチャップをかけただけの質素な料理を食べていた。みかねた当時の総料理長である入江忠茂が、ケチャップの代わりに玉ねぎやにんにく、トマトピューレなどを使い、ナポリタンを作った。これがナポリタン誕生の通説となっている。一方で、本書はこの通説に疑問を投げかける。資料調査によって、前述の通説よりも前の1934年に「ナポリタン」という言葉が使われた文献が存在していたからである。つまり、元祖の店や考案者が別にいる可能性を突き止めたのである。真の考案者は謎であるが、徹底した文献調査によって、通説とは別の可能性を提示した。
このように本書は、徹底した文献調査によって新事実を提示している。紹介されているすべての料理が通説を覆しているわけではないなく、本書の冒頭でも書いてあるが、文献調査の結果、やはり通説にたどり着く場合もあったという。それでも本書のように、一から徹底的に文献をあたるという手法は参考になる。あらゆる情報がネットに公開されている昨今、「この店が元祖である」という情報がネットで見つかれば、その説に満足し、ネットで拡散してしまう。私にも心当たりがある。これにより、本当かどうかわからない元祖説がどんどん広がり「謎は封印される」のである。このように本書は述べる。
ある店が一度「元祖」と喧伝されると、それがあたかも真実のように流布していく。とくに今の時代、一度出回った情報はネットで複製されて大量に拡散する。そうして、謎は封印される。 調べるたび、「歴史はつくられるもの」という言葉を実感した。
「歴史はつくられるもの」。重い言葉である。ネットで気軽に情報を拡散できる現在、偽りの歴史を拡散し、真実を封印する行為に、知らずして加担してしまう可能性がある。料理のルーツなら些細なことだと思うかもしれないが、偽りの歴史を肯定する行為は、本当の考案者の創造性や努力をなかったことにしてしまう。料理のレシピに著作権はないとされているが、最初に考案した人の創造性はやはり尊重していきたいものである。
歴史とは何か。私たちは歴史をどのように作るのか、あるいは作り変えていくのか。本書は一見、シンプルな料理のルーツを追ったものであるが、このような人文的なことを考えさせられる一冊でもある。
さて、前述のとおり本書はいくつかの元祖説に疑問を投げかけている。しかしだからといって元祖を主張していた店が故意に事実を曲げたとはいえないと述べている。「すでに同じ料理が存在していることに気づかないまま、時期を前後して、偶然にも同じ料理を考えついた可能性もある」のだという。条件が揃えば同じものが生まれる可能性は十分にあるだろう。これはまた文化人類学的である。
ちなみに本書を参考に日本の外食の歴史を追ったのが『日本外食全史』(阿古真理、亜紀書房)である。現代の日本の定番料理の歴史を追うならこちらは必読である。