フランス菓子の歴史と命名法がわかる一冊『名前が語るお菓子の歴史』|私たちは100年以上も前に考案された価値を食べ続けている

 日本でも人気の焼き菓子である「フィナンシェ」。実は「フィナンシェ」という言葉は「金融家」を意味する。焼き菓子なのになぜ金融家なのか。実は、パリの証券取引所の近くで店を開いた菓子職人ラヌが、フィナンシェ(金融家)たちが、背広を汚さずに手軽に食べられるようこの考案したことに由来する。他の菓子に比べてシンプルで地味なのもそのためだ。

 ちなみにクロワッサンは「三日月」、エクレール(エクレア)は「稲妻」を意味する。なぜこのような、名前からでは材料も見た目もわからないような名前がつけられているのだろうか。

 そんなお菓子に名前がつけられる過程、お菓子の歴史を紹介してくれるのが『名前が語るお菓子の歴史』である。著書はフランスの文化人類学者の2人である。それゆえに紹介される菓子のほとんどはフランス菓子である。

聞き馴染みがない菓子がたくさん紹介されていたことだ。本書で紹介される菓子の7割は「デリスドロシュシュアール」や「アンファンボルドー」のような聞き馴染みがない菓子だ。

 日頃から菓子屋を巡っている私でも、聞いたことがない菓子が大半である。ゆえにこの本を読むと、日本でみられるフランス菓子は本場にフランスのほんの一部にすぎないのだとわかる。

 また人間が菓子に名前をつけるときのその過程がわかる本でもある。本書ではとくにフランスを対象にしているが、人類の菓子に対する命名法則という、文化人類学的なことがわかる一冊でもある。

目次

多種多様な命名法

 命名法は多種多様だ。たとえば前述のフィナンシェは金融家に由来しているし、ラングドシャはその形が猫の舌に似ていることからそう命名された。また材料の分量や使用する型に由来していたり、偉大な美食家や貴族に送る際に、その人の名前を菓子につける場合もある。

 その一部を一応羅列してみる。

  • 地名や通りの名前、街の名前に由来(フォレノワール、タルトノルマンド、16ロワイヤル、トリアノンなど)
  • 製造技法に由来(プティング、カヌレ、クグロフなど)
  • 重さや分量に由来(ミルフイユ、カトルカール、シフリュイ)
  • 食べ方や食べた時の味・食感に由来(エクレール、ヴォロヴァン、クロカンブッシュ)
  • 考案者に由来(フロランタン、サヴァラン)
  • 政治家や偉人、尊敬している人に由来(セントゥール、ガレットデロワ、タルトアントワーヌ)
  • 店の名前に由来(ダロワイヨ、ザッハトルテ)
  • 行事に由来(ブッシュドノエル)
  • 見た目に名前の由来(ラングドシャ、オスドグルヌイユ、クレートドコック)
  • 音楽関連に由来(ボレロ、サンフォニー、サランボー、トゥーランドット、モーツァルト、オペラ、ポルカ)

 他にもいろいろな命名法が本書では紹介されている。しかも「チーズケーキ」や「ガトーショコラ」のような【材料+菓子名】という単純な付け方は少なく、名前からでは菓子の材料や味がまったく想像できない名前が多くみられる。

 前述のフィナンシェやエクレール、サヴァランなどはまさにその例で、その名前だけではまったく実物が想像できない。

フィナンシェの写真
フィナンシェの写真
メゾンカイザーのエクレア
メゾンカイザーのエクレア

日本菓子にも共通する命名法

 日本の菓子の名前と比較してみると面白いかもしれない。日本菓子でいえば、形に由来したものとして「菱餅」、材料に由来したものとして「きび団子」「くず餅」、人物に由来したものとして「信玄餅」などなど、餅や団子などの単語がついているものが多い。一方で「羊羹」「きんつば」「ねりきり」「最中」など、名前からでは味や形が想像できないものもたくさんある。

 日本とフランスで文化・地域の違いがあっても、菓子の命名の仕方は類似した部分が少なからずある。

 ちなみにお菓子の歴史や名前の由来は諸説あるものほとんどで、本書で紹介されている内容が正しいとは決していえないということが訳者のあとがきにも記載されている。

 洋菓子の歴史や名前の由来を解説した本としては、猫井登の「お菓子の由来物語」という非常によく調べられた本もある。こちらは日本で馴染み深い洋菓子が大半である。各菓子について、その歴史がわかりやすくまとめられている良書だ。

私たちは100年前に考案された菓子を食べ続けている

 今回は『名前が語るお菓子の歴史』について、その内容を紹介したが、本書で紹介されている菓子のほとんどは、19世紀や18世紀などに考案されたものである。はるか昔に考案された菓子を、われわれ今でも食べ続けているのである。時代、そして大陸と海を越え、そのレシピや形、味が継承されているのは、驚くべき事実である。

 他方で、現在でも後世に残るような菓子は考案されているのだろうか。映画や音楽、絵画などのように、新しいものは日々生まれ続けているのだろうか。もちろんどの芸術分野も、過去の膨大土台の上に成り立っており、すべては過去の作品のオマージュにすぎないといえるので、まったく新しいものが生まれることはない。それでも新しいものとして世に出される。

 同じようなことは菓子の分野であるのだろうか。日本で菓子屋を訪問している限りでは、あまりないように思える。もちろん洋菓子屋は日々、新しい商品の開発に取り組んでいるのだが、特定の季節だけに販売されているか、もしくは特定の店だけで販売されているものであるため、その店がなくなってしまえば、その菓子は継承されなくなる可能性が高い。

 コンビニのスイーツにおいても、新しい商品が販売されることがあるが、そのほとんどはスフレプリンやチーズテリーヌのような既存の菓子の組み合わせただけのものや、台湾カステラやマリトッツォのような日本では馴染みがない海外の菓子を販売しているにすぎず、新しいスイーツを生み出しているとはいえない。

 一部には、ミルクレープやショートケーキなど独自のケーキが考案され、受け継がれ、大衆化しているものが、少なからずあるのも事実ではあるが、その数は非常に少ない。 

 わざわざ新しい菓子を開発しなくても、100年以上も前から受け継がれてきた、すでに完成された菓子がたくさんあるのだからそれでいいのかもしれない。また過去の威光を大切にし続けるのもいいだろう。一方で、食べ物も1つの芸術作品であるにもかかわらず、新しいものが生まれないというのも少し残念である。

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