チーズやヨーグルト、バター、そして牛乳。乳製品は現在の日本の食卓には欠かせないものになっている。
しかし日本人が日常的に牛乳を飲み、乳製品を食べる最近になってからだ。また日本の伝統料理を振り返ると、乳製品を使った料理、菓子は皆無だ。(創作系の日本料理屋や戦後に生れた郷土料理などにはチーズやバターが使われることがあるが)。
日本の伝統料理に乳製品が使われないのは、日本の料理のベースができあがる室町時代に、乳製品が一般的な食べ物ではなかったからだ。ではいったいなぜ、日本人は明治時代になるまで、牛乳を飲まず、乳製品を食さなかったのだろうか?
645年にはすでに、日本に乳製品があった
まずは、日本における乳の歴史を簡単に解説する。日本の牛乳に関する最初の記述は、645年の飛鳥時代だ。
食文化を研究している石毛直道氏の著書『日本の食文化史: 旧石器時代から現代まで』によると、中国からやってきた人間が宮廷に牛乳を献上したという記録がある。
七世紀中頃、朝鮮半島経由で日本にやってきた中国人の子孫である善那が、天皇に牛乳を献じ、和薬使主という称号をさずけられたのが、日本での乳の利用に関する最初の記録である。文武四(七〇〇)年には、宮廷が命令して「蘇」を作らせたとあり、これが乳製品の最初に記録である。
日本の食文化史: 旧石器時代から現代まで 石毛直道
日本の食文化史: 旧石器時代から現代まで 石毛直道
この記録以前にも、乳を食べ物として利用していた可能性はあるが、ひとまず645年には確実に、乳を飲む文化があったということだ。意外にも日本人は古代から乳製品を食べている。
仏教では肉食は禁止だが、牛乳は認められていた
古代の日本で肉食が避けられていたのは有名な話だ。675年、天武天皇が、動物の殺生を禁じる仏教の戒律を受け入れたことから、肉食の禁止令が発布される。ただしこの効力はそれほど大きな物ではなく、役人を含む一部の人の間では肉食は継続されていたという。
また肉食禁止令は出されても、牛乳の利用は継続された。というのも仏教は、動物の殺生は禁じても、牛乳の飲用は認めているからだ。むしろ仏教のなかで乳製品は聖なる食べ物であるという解釈もある。これは釈迦が悟りを開く直前に、スジャータという名の娘にもらった牛乳粥のおかげで、苦行を乗り越えることができ、悟りを開くことができたからだ。
さらに仏典の「涅槃経(ねはんぎょう)」には、乳を加工していくことで徐々に味が最上の乳製品に変化していく様子を例にとり、仏の教えも徐々に最上の教えに昇華していくと伝えている。以下がその該当部分だ。
牛より乳を出し、乳より酪(らく)を出し、酪より生酥(せいそ)を出し、生酥より熟酥(じゅくそ)を出し、熟酥より醍醐を出す、仏の教えもまた同じく、仏より十二部経を出し、十二部経より修多羅(しゅたら)を出し、修多羅より方等経を出し、方等経より般若波羅蜜を出し、般若波羅蜜より大涅槃経を出す
このように仏教において乳製品は、仏の教えに例えられるほど、評価の高い食べ物だったのだ。もし乳製品が穢れるような食べ物だったら仏の教えに例えられることはないだろう。
乳製品を税として納めていた
日本の食文化を研究している畑中三応子氏の『カリスマフード 肉・乳・米』では、牛乳を加工してつくった蘇を租税として収める「貢蘇」の制度が確立したこともあったとも記している。
蘇とは、現在でいうところのチーズに近いという説やヨーグルトにも近いという説がある。実際のレシピは明らかになっていないが、その再現レシピは、最近ネットで話題になったので、ご存知の方もいるのではないだろうか。
古代の日本で消費された乳製品はこの蘇だけだったそうだが、これが税として、高貴な食べ物として扱われていたのだ。ちなみにヨーロッパでも、チーズは税として使われた時代があった。
乳製品は鎌倉時代以降に廃れていく
飛鳥時代から消費されてきた乳製品は、鎌倉時代になると消費されなくなる。その主な理由は、乳製品の利用が貴族に独占されていたからだ。
乳製品は貴族だけの食文化だった
鎌倉時代は、朝廷から武士に実権が移った時代だ。鎌倉時代以前、乳製品を主に消費していたのは貴族だった。鎌倉時代になり、本格的な武家政権がはじまると、それまでおこなわれていた貢蘇(乳製品である蘇を租税として納める)はすたれ、同時に乳製品の利用もすたれていったのだ。
後醍醐天皇の時代に、一度は貢蘇が復活したそうなのだが、南北朝の戦乱によって、やはり乳製品を消費する文化はすたれた。鎌倉の武士たちも、牛を飼育していたし、乳を搾ることはあった。しかし牛乳は日常食用ではなく薬用に使われた。また牛の用途は牛乳よりも、牛革や農地の耕作ように利用された。
鎌倉時代に入った乳製品の消費がすたれたことについて、先述の『カリスマフード 肉・乳・米』では以下のように記している。
これほど栄えた酪農だが、平安時代後期から武士が台頭し、貴族社会が衰退するにつれて貢蘇が滞りはじめ、鎌倉時代中期になるとほとんど行われなくなる。武士は野生動物の肉食は行ったし、武具材料として牛革と軍馬の需要が増大したため、牧畜自体は続けられたが、家畜を食用にはせず、乳製品も利用しなかった。
(中略)
牛乳と乳製品がすたれた原因は、仏教の肉食禁止令が浸透して乳も忌み嫌われるようになったことに加え、食品ではなく医薬品として扱われたこと、皇族と貴族が独占していたために武士や庶民がその価値や味に縁遠く、食文化のなかに溶け込んでいなかったことが大きいとされる。
カリスマフード: 肉・乳・米と日本人 畑中三応子
カリスマフード: 肉・乳・米と日本人 畑中三応子
このように乳製品を食べる文化は、貴族文化の衰退とともに廃れていく。
その後、フランシスコ・ザビエルが日本で牛乳を飲んだり、日本に滞在したオランダ人は自分が所有する敷地でバターやチーズを自家製したりすることはあったが、日本人が進んで乳製品を消費することはなかった。
江戸時代の中期、徳川吉宗の時代には、インドから輸入した白牛を飼育し、牛乳を搾った。これが近代酪農の始まりだと言われているが、まだまだごく一部の人間にかぎられた食文化だった。
乳製品が一般的になるのは明治時代になってから
乳製品が一般的に消費されるようになるのは、明治時代だ。この時代、留学や貿易のために海外に飛び出した日本人は、欧米人との体格差と文明の差を目の当たりにした。
圧倒的な差を見せつけられた日本は、国をあげて欧米に追いつこうとする。その一環として欧米人が日常的に消費している肉と牛乳を、日本でも消費するようになった。
その頃、牛乳は健康にいいというだけではなく、必用な栄養がすべて入った滋養強壮に役立つスーパーフードだともてはやされていた。これは欧米人に追いつくために政府や知識人がしかけたプロパガンダでもあったのだが、それくらい明治時代の日本では牛乳を飲むことが急務になっていたのだ。
乳製品が日本に根付かなったのは資源が豊富だったからともいえる
日本で乳製品利用の文化が消えたのは、環境的な問題や資源的な問題ではない。宗教的な事情もわずかにあるが、主な理由は政権交代による文化の遷移だ。政権交代によってあっさりなくなってしまう程度だったのだ。これは別の見方をすると、乳製品がなくても十分に食糧をまかなえたということでもある。
そもそも古代の日本で乳を消費していたのは貴族だけだった。本当に食糧に困っていれば、貴族の目を盗んで庶民も乳を飲んでいただろうし、戦で兵士の食糧として利用した可能性や、祭りや儀式で庶民が食べる機会もあったのではないだろうか。
実際、ヨーロッパではチーズが神への捧げものであった一方、兵士にも与えられていた。ギリシャで行われた第一回のオリンピックでは選手たちにチーズが配られたし、儀式の際は神にチーズを献上したあとに、庶民がそれを食べた。(※チーズと文明)
一方、日本では、鎌倉時代に乳製品はあっさりすたれてしまった。その理由はやはり、「その必要がなかったから」だろう。乳製品は、貴族だけが食べる、ただの贅沢品にすぎなかったのかもしれない。
また乳製品が一般的でなかった江戸時代において、江戸の人口では世界でもトップクラスに多かったといわれている。乳を利用しなくても人口は増えたし、その人口を十分まかなえたのだ。
明治時代に日本人は牛乳を飲むようになったのは、欧米コンプレックスが理由
牛乳が日常の風景にあらわれるのは明治時代になってからだ。牛乳を飲むようになったのは、食糧不足が原因ではない。たんなる欧米列強に対するコンプレックスからだ。一回り体格が大きかった白人に対する強い憧れからだ。
仮に日本の文明が欧米なみに進み、日本人の体格が欧米人と同じくらいだったら、明治時代になっても牛乳の飲む文化は根付いていなかっただろう。日本は乳を消費する必要がないくらい、食べ物に恵まれていたのだ。日本は食資源が豊富だとよくいわれるが、まさにその通りだ。
ヨーロッパや西アジアでは資源がとぼしく、乳を利用せざるを得なかった
乳製品と生活が密接に結びついているヨーロッパ、西アジア地域では、資源にとぼしく、動物の乳を利用せざるを得なかった地域がある。たとえば紀元前6500年、肥沃な三日月地帯で、ミルクの生産を開始した人類は、人口増加と森林破壊、環境劣化などが原因で、食料難に陥った。農耕に適さない土地を使って、ヤギや羊に草を食べさせ、搾った乳を加工して、保存食として利用してきた。
耕作に適さない土地を家畜用にすることで西アジアやヨーロッパの人は食料をまかなってきた。乳製品が生活と密接に結びついている地域では、その必要があったから乳を消費しているのだといえる。
一方で、日本人は、わざわざ動物の乳を利用する必要がなかったのだろう。同じようなことは中国でも起こっている。中華料理を思い出してもらうとわかると思うが、乳製品は登場しない。前述の通り乳は中国から日本にきたものなので、中国に乳は伝わっているのだが、中国の食文化に乳がとけこむことはなかった。
その主な理由は乳が中国に伝来したとき、すでに稲作中心の食文化ができあがっていたからだ。日本と同じようにすでに食文化が完成していたので、乳製品はなくても困らないものだったのだろう。
その他、チーズの歴史を解説した『チーズと文明』によると、中国には異文化を排外する思想があり、それも理由の1つなのではないかと論じている。それは少し言い過ぎかもしれないが、中国にとっても乳製品はなくてもいいものだったのだろう。他にも東南アジア、朝鮮半島は、伝統的に乳搾りを行わなかった。
まとめ
日本の伝統料理に乳製品が登場しないのは、伝統料理が形成される時代には、まだ乳製品の利用が一般的ではなかったからだ。日本人の生活に牛乳や乳製品が登場するのは明治時代になってからだ。ではなぜ明治時代まで乳製品が登場しないのか?
その理由は、究極的には日本は食資源が豊富で、乳製品を利用する必要がなかったからだといえる。
日本には鎌倉時代まで乳製品を利用する文化があった。しかしそれは貴族に独占されていたので、武家政権に移行すると同時にあっさり消失した。その後、明治時代まで乳製品の利用が復活しなかったのは、「その必要がなかったから」ということだろう。
逆に明治時代に乳製品が復活したのは、欧米列強との差を埋め、日本が近代化するためだ。つまり、日本のために必要だったからだ。食資源が豊富な日本では、乳は必ずしも必要な食べ物ではなかった。
不要な食文化はこれからも消えるのか?
必要のないものは消える。たんなる贅沢品は消える。
昨今、人々はコスパ重視でものを選ぶようになった。多くの人は過度な贅沢を控え、必要のないものは極力消費するのをやめた。それは意味健全なことであるし、また不景気な日本では当然の選択といえる。
しかしこの先になる世界は、コスパが良いもの、本当に必用なものしか残らない世の中だろう。鎌倉時代、不要なものとして乳製品がすたれたように、これからは多くの食文化が不要なものとしてすたれていくのかもしれない。
実際、一部の人は動物性の食品を食べるのは止めた。メキシコの一部の地域では、子供がジャンクフードを食べるのを禁止する法律が制定された。もちろん地球の環境を守り、人間の健康を維持するためには、不要なものを避けるべきかもしれない。しかしそれがあまりにも過度になって、不要なものは全部排除する動きになるのは、いかがなものかと思ってしまう。
規制に規制を重ねるのは食べる楽しさを失うのではないかと危惧してしまう。ときに贅沢をしてもいいのではないだろうか。1年に一度は、気分転換に貴族のような食事を体験してもいいのではないだろうか。
参考資料
『カリスマフード: 肉・乳・米と日本人』 畑中三応子著
『日本の食文化史 旧石器時代から現代まで』 石毛直道著
『チーズと文明』 ポールキンステッド著