岡山銘菓「調布」のユニークさと焼きそばパンとの類似性につい

 岡山県の定番・人気のお土産といえば吉備団子であるが、もう1つ人気のお土産が「調布」である。調布は、薄いカステラで求肥を包んだ和菓子だ。カステラといっても普段食べるふわふわで四角いものではなく、どら焼きくらいの薄さのものだ。吉備団子に比べると、知名度は劣る。しかし、他県に類似品がほぼなく、また小麦粉で作った生地の上に、米で作った求肥をのせるという世界でも稀有な食べ物なのではないだろうか。

 今回私は岡山県を旅行し、2つの調布を購入した。岡山県ではいくつかのメーカーが販売しており、カステラと求肥という構成は同じであるが、求肥の大きさやカステラの質感が違っている。たとえば以下は岡山駅で購入した廣榮堂の調布だ。

 また以下の写真は「ひらい」というメーカーの調布である。こちらは中の求肥がカステラからはみ出しており、インパクトがある。

 他にも栗が入った調布も存在するという。

 一応調布の簡単に歴史を紹介すると、江戸時代末期に、現在の岡山県倉敷市の出身である和菓子職人・間野与平によって考案されたとされている。また名前の由来は租庸調にあるという。租税として収めていた布である「調布」に似ていることから、その名前になったともされている。ただしWikipediaの情報である。

穀物と穀物の稀有な組み合わせ

 前述のとおり調布は、求肥と薄く伸ばしたカステラというシンプルな構成である。しかし小麦粉の生地と求肥という組み合わせ、あるいは穀物加工品と穀物加工品の組み合わせは、一般的なものではないのではないだろうか。

 調布は「小麦粉を水などで溶き平たく伸ばして焼いた生地で、求肥を包んだ食べ物」である。小麦粉を水などで溶き、平たく伸ばして焼いた生地を使う食べ物は、世界中に存在する。たとえばクレープ。生地の面積を大きくすればパンケーキ、ピザになる。小さくすれば餃子である。このような食べ物は世界中で見られる。もちろん生地における材料の細かい配合の違いはあるだろうが、基本的な材料と製法は同じだ。また小麦粉をそばに変えればいわゆるガレットになるし、とうもろこし粉を使えばトルティーヤになる。そのように考えると調布は、世界中でみられる、穀物を粉状にしたものを水で溶いて平たく焼いた食べ物の一種ということになる。

 一方で調布がユニークなのは、中身が求肥である点である。言い換えるなら「小麦から作ったもので、米から作ったものを包んでいる」のである。さらにいうなら、「穀物を穀物で包む」、あるいは「炭水化物を炭水化物で包む」という稀有な食べ物なのである。このような食べ物は和菓子においてもあまり見たことがないし、世界の小麦粉から作った生地を使った食べ物のなかでも多くはないだろう。クレープ、もしくはガレットの上に、ご飯、あるいはパスタやパンを載せた食べ物が存在するだろうか。焼きそばパン、ナポリタンパンなど日本にはわずかながらあるが、これらも珍しい組み合わせだ。

 炊いた米を意味する「ご飯」という言葉は、食事そのものも意味する。昼食を「お昼ご飯」といったりするのがその例である。このような呼び方が示すとおり、日本では伝統的に米は、食事そのものでもあり、何より特別な食べ物である。カステラ(小麦粉)で求肥(米)を包んだ調布は、黄金にも見える生地で神聖な米を包んだ食べ物にも見えなくはない。炭水化物で炭水化物を包むという、他にはない稀有な食べ物が生まれた背景には、米を、なかでも餅を特別な食べ物とする日本人の考え方があったからではないだろうか。

焼きそばパンと調布

 調布のような、穀物から作った食べ物に、穀物から作った食べ物を組み合わせた食べ物は実は日本にはわずかながら存在する。焼きそばパン、ナポリタンパンやモダン焼きである。

 日本の食卓において、ご飯と一緒にパンやパスタがでてくることは、普通はない。一方で軽食や菓子に目を向けてみると今回紹介した調布や、焼きそばパンのような組み合わせが存在するのである。調布と焼きそばパンでは、その成り立ちの過程はまったく違うだろう。一方で、調布のような菓子がはるか昔から存在したからこそ、焼きそばパンやナポリタンパンのような食べ物が平然と受け入れられている、そんな可能性はないだろうか。

おわりに

 銘菓のなかには、全国のスーパーやコンビニで類似品が販売されるものがある。萩の月や博多のとおりもんは、似たような食べ物はどこでも手に入る。しかし、今回紹介した調布はそういった様子もなかった。それは調布が、萩の月や博多のとおりもんほど人気ではないからだろうか。そうかもしれない。炭水化物を炭水化物で包むという、糖質忌避者の悲鳴が聞こえそうな和菓子である。一方でそのような微妙な存在だからこそ、全国に類似品が出回らず、岡山でしか買えないというローカル性を実感できる食べ物のまま残り続けているのではないだろうか。

 岡山県に行く前の岡山のイメージは桃太郎でしかなかった。他に何があるのかさっぱりわからなかった。しかし訪れてみると雰囲気の良い飲食店が多く、美術館が多く、またリニューアルしたばかりの岡山城は、歴史を面白くわかりやすく解説してくれる展示で溢れていた。そして調布という世界的にも稀有な食べ物を筆頭に、岡山性あふれる食べ物が多くあった。どこにでもある地方都市ではなく、これが岡山であるといったような、岡山性のようなものを感じることができた。

 このようなローカル性は他者への共感のきっかけになるだろう。その街にはその街の生活がある。自分と同じ人間が、自分が地元で暮らすのと同じように、その街に暮らしている。旅行にでてローカル性に触れることは、私たちはこのような他者の存在を意識し、共感し、配慮する出発点になるだろう。