2018年の6月、株式会社ゲンロンとHISが共同で開催しているチェルノブイリツアーというものに参加してきた。
一般的な観光ツアーというよりは、スタディツアーという、専門の講師が同行してあれこれ解説してくれるタイプのツアーだ。
だからといってかしこまったツアーというわけではなく、自由時間はあるし、綺麗なホテルに泊まることもできる。
さてここでは、そのツアーに参加して撮影した写真を紹介と、チェルノブイリやウクライナにもついて少しだけ紹介できればと思う。
(※写真は2018年に撮影したもの。ゲンロンカフェは2020年現在、チェルノブイリツアーを停止している)
チェルノブイリ原発と原発付近の街の様子
チェルノブイリ原発はソ連時代に、現在はウクライナのプリピャチ州に存在した原子力発電所だ。この場所では4つの原子炉が稼働していたのだが、1986年4月26日に4機のうちの1つが事故を起こした。
爆発とその後の火災により、14エクサベクレルの放射性物質が大気中に放出されたといわれている。事故の詳細については割愛するが、チェルノブイリ原発は、現在でも廃炉作業中だ。
また発電はおこなっていないが、送電施設として稼働しているため、発電所時代は現存している。
そして発電所を外から見学することもできるし、事故を起こしたのと同じ構造の3号炉は、中に入って見学することができる。
30キロ圏内検問所
チェルノブイリ原発の30キロ圏内と10キロ圏内には検問所がある。原発付近に行くには、この検問所を通らなければいけない。
この検問所事前に見学ツアーを予約しておく必要があるので、もし観光にいくならツアー会社に申請しなければいけない。
検問所では怖そうな警察による、パスポートの照会が行われる。撮影禁止ということで、写真はないが、検問所の前にはギフトショップがある。
このギフトショップでは、チェルノブイリの字がプリントされたTシャツやタオル、マグカップ、ピンバッジ、その他、チェルノブイリ内のマップなどが販売されているのは驚かされる。
このようなギフトショップを警察の目の前で堂々と構えることができるのは、ウクライナだからだろう。日本においても、2013年に福島が原発事故を起こしたが、その場所で、同じギフトショップをひらいたとしたら、非難をうけるだろう。
このギフトショップは、チェルノブイリと福島の、日本人とウクライナ人との国民性の違いを教えてくれる。どちらがいいのかどうかは個人の判断にもよるが、一方で、観光地として残して置くことで、10年後も20年後も、事故の悲劇を振り返ることができるという点では、観光できることの意義は大きいといえるだろう。
チェルノブイリ原発付近の河川敷
「ここから原発がよくみえる」ということで、原発付近にある河川敷で下車して撮影。
かまぼこ状のドームが事故のあった4号機。現在はドームに包むことで減圧し、放射能が漏れないようにしているそうだ。
上の画像で遠くに見えるさびれた建物は、未完成のまま放置された5号機。
5号機の建設途中に4号機の事故がおこったため、そのまま放置。
放射能汚染があるので解体できず、1986年の事故から、建設途中で放置されている。
※原発整理
- 【1,2,3号機】
送電専用に稼働中、内部を見学できる - 【4号機】
事故を起こした原発。現在はドームに包まれており廃炉作業中。内部は見学不可。 - 【5号機】
未完成のまま放置。遠くから見学可能
ふと草むらに目をやると、なんとも物騒な標識がある。
原発10キロ圏内はまだ放射能の残っている場所も多く、あのような標識が至る所でみられる。
また雑草の上は放射線濃度が高いから、極力乗るなと言われた。
ニガヨモギの星公園
事故後25周年を記念してつくられた公園。
立てられている札には、事故によって消滅した町の名前が記載されている。
発電所の記念碑
原発敷地内、事故のあった4号機の面の前には記念碑がある。
事故のあった4号機は現在、かまぼこ状のドームにすっぽり覆われており、これは放射能が漏れないようにするためだ。
事故を起こした原発のボロボロの外観がみられないのは残念だが、巨大なドームは圧巻だ。
ちなみにこのドーム、原発とは別の場所でつくり、ドームをスライドさせて原発を包む、という流れで状態になっているそうだ。
チェルノブイリ原発内
事故を起こした4号機には入ることができないが、今でも1、2、3号機の内部は、限定的に見学可能だ。
場所によっては放射線濃度が高いので、しっかり防護服を着用します。
4号機の隣にある3号機
事故を起こした4号機と同じ構造とのこと。写真に写っているのが何をどうする機械なのかは忘れたてしまった。
チェルノブイリ発電所は、現在でも送電のために稼働している。当時のままの設備を今でも使っており、その様子は一昔前のSF映画さながらだ。
それにしてもアナログだ。原子力という1つ間違えれば付近の街、そして人類を滅ぼしかねない巨大な力を持った物質を、このようなアナログな計器で管理していたというのは驚きだ。
どれが何を示しているのか、従業員は本当に把握していたのだろうか。
原発内は従業員用の食堂があって、観光客もこちらを利用できる。メニューは多くはなく、メインが3種類から選べる。
ボルシチやブリヌイといったウクライナ・ロシア系の料理がしっかりでてきた。原発の食堂ででてくるぐらいだから、ボルシチはやはり国民食なのだろう。
プリピャチの街(チェルノブイリ原発から4キロの場所にある衛星都市)
プリピャチは原発から4キロの場所にある原発の衛星都市だ。
1986年の原発事故で住民が避難してからそのまま放置された街だ。事故後に退去命令がでてから、時が止まったゴーストタウンというわけだ。
いまは見る影もないが、当時は最先端の科学技術を駆使した発電所のお膝元であり、時代の先をゆく街として注目されていたらしい。学校や遊園地、ホテルに劇場、スタジアムなど、街に必要なものはすべてそろっていた。
ちなみにこのプリピャチの街は、ゲームの「CALL OF DUTY4」や「STALKER」にも登場するとのことで、ゲームファンがよく観光にくるらしい。
建物は老朽化が進みいつ崩れるか分からないとのこと。また、放射能が残っている可能性があることから「建物には入るな!」とのこと。
プリピャチの遊園地
この遊園地は、開園を目前にして原発事故が発生してしまったため、一般に利用されることはなかった。
老朽化した遊具が当時のまま置かれている様は不気味でもある一方で、悲しさや寂しさのような感情もわきたつ。
チェルノブイリ2(旧ソ連秘密軍事基地跡地)
旧ソ連の秘密軍地基地の跡地で、ここに限っては内部を見学することができる。完全に廃墟状態で、足場が悪くなっていて、足元もみながらでないと危険だ。
旧ソ連の巨大なOTHアンテナ「Duga-3」
「チェルノブイリ2」と呼ばれる場所には、冷戦時代に建造された「Duga-3」と呼ばれる巨大なOTHアンテナがある。
これは高さ150メートル、長さ500メートルの超巨大な建造物で、冷戦時代、ソ連がアメリカからのミサイルを早期に探知するためにつくられたそうだ。OTH(Over-the-horizon)アンテナと呼ぶ。
同じタイプのアンテナはソ連時代に3機つくらており、チェルノブイリにあるものはその3機目にあたる。だから「Duga-3」というわけだ。
写真ではなかなか大きさが伝わりにくいが、とにかくデカくて迫力がある建造物だ。
ちなみにこのアンテナは電磁波の影響なのか、体調を崩す人がおおかったらしい。またあまりに巨大なので、ペンキの塗替えが非常に大変で、一年中ペンキの塗り替え作業に追われていたとか。
これだけ大きなものをつくったにもかかわらず、その活躍ぶりはいまひとつだったようだ。いかにもソ連建築らしい。
旧ソ連軍の作戦司令室など
巨大アンテナの裏手には旧ソ連軍が使用していた作戦司令室などがあり、内部まで見学することができる。
内部は完全に廃墟。壁もボロボロで、ガラスの破片や金属の破片が散乱しているという有様だ。
それにしてもここまで大きな建物がまるまる廃墟として残っているのは、単純に驚かされる。
チェルノブイリ唯一のホテル
今回はチェルノブイリ近辺のツアーが、1泊2日だったので、チェルノブイリ唯一のホテル、というか宿泊所を利用した。
お世辞にも綺麗とはいえないホテルだ。
またエアコンがなくて暑いし、外の犬の鳴き声がうるさくて眠れないなど、多少の不満はあるが、チェルノブイリ内のホテルに泊まるという貴重な経験ができた。
レーニン像
チェルノブイリには壊されないまま残っているレーニン像がある。原発事故によって人が入れない状態になったので、壊されていないというわけだ。
ウクライナ観光
今回はチェルノブイリ原発だけでなく、チェルノブイリを擁する国、ウクライナも観光している。ウクライナはデモの影響もあり、危険なイメージがあるが、2018年に訪問したときは、危険な様子などまったくなかった。
夜の歌舞伎町を歩くよりも快適だった。
聖ソフィア大聖堂
「聖ソフィア大聖堂」は世界遺産にも登録されている、キエフ最古のキリスト教の教会だ。
建立されたのは1037年。当時ヨーロッパ建築のなかで、もっとも大きな建物だったそうだ。
首都キエフの中心地にあり、遠くからでもその美しい外観が目立つ。また外観もさることながら内部の豪華絢爛な装飾も見どころである。(内部は撮影禁止のため写真がない)
大聖堂に入る前には塔があり、その塔の上からキエフの街を一望できる。
塔の最上階まで行くにはきつい階段を登らなければいけないが、最上階から見るキエフの町は絶景だ。大聖堂と合わせて絶対に、訪れてほしいスポットでもある。
独立広場(ユーロマイダン)
キエフの中心地ともいえる場所であり、ウクライナ独立記念碑がある。
2013年11月にはじまったデモの舞台となった場所でもあるため「ユーロマイダン」とも呼ばれている。
デモを題材にしたドキュメタリーをみると、この場所は火の海になっていたようだ。
2018年にはきれいな状態で、多くの人が遊びにきている。何事もなかったかのように。
政治的に意味合いの強い街なのかと思えば、少し歩くとショッピングモールやレストラン、カフェ、雑貨屋、お土産屋、マクドナルドなどがある。デモの様子など想像できないほど綺麗な場所になっているのだが、広場を進むと、デモで亡くなった人を追悼する看板や慰霊碑などがある。
慰霊碑とショッピングモール。多くの人が笑顔で休日の昼下がりを過ごすこの場所で、死者がでるほどのデモがあったなんて、まったく想像ができない。
死と生が複雑に入り乱れるなんとも不思議な街だ。
ちなみにお土産も調達できるので、ウクライナ観光で外せない場所といるだろう。
地下鉄
実は、ウクライナの地下鉄は深いこともでも有名だ。
キエフにある「アルセナーリナ駅」が世界でもっとも深い地下鉄駅であり、その深さは地下105メートルだそうだ。
日本でもっとも深い駅が大江戸線六本木駅で、42.3メートル。その倍以上の深さだ。
写真は世界一深い駅ではないが、それでも日本のどの駅よりも、明らかに深くまで潜る。地下に吸い込まれそうなほど長く続くエスカレーターは、日本ではお目にかかれない光景だ。
エスカレーターが長い分、エスカレーターの速度は日本の3倍くらいの速さであり、手すりにつかまってないと振り落とされそうになる。初めて乗る、アトラクションくらいのわくわく感がある。
さすがヨーロッパというべきか。ホームにはおしゃれなシャンデリアが。
世界一深いのは「アルセナーリナ駅」だが、他の駅を利用しても、その圧倒的な深さを体験できるはず。
地下鉄は、5フリヴニャ(21円くらい)であり手頃な価格だ。
また駅によっては地下に売店街があって、花やケバブ屋、カフェなども。ウクライナにいった際は絶対に地下に潜ってみてほしい。
大祖国戦争博物館
主に、第二次世界大戦時の兵器や道具、写真が展示されている。
当時使われていた戦車や機関銃、ナチスドイツのものまで、日本ではお目にかかれないものがたくさん展示してある。
戦勝国であるソ連からみる第二次大戦は、やはり敗戦国日本とは、大きく意味合いが違っているようだ。仮に日本で戦争に使われた武器や戦車を展示する施設をつくったとしたら、国内外から避難に遭うだろう。
こういったものはやはり戦勝国にいかないみられないので、非常に貴重なものだ。
ただしウクライナは、旧ソ連圏であり、現在ロシアと対立している特殊性のある国だ。ウクライナにとっての第二次大戦は、おそらくアメリカ、イギリス、フランスといった戦勝国とも、また違った意味をもつのではないかと思う。
おわりに
独立運動やEU関連のデモ、クリミア・東部紛争など、なにかと危険なイメージがあるし、一部の地域は現在でも非常に治安が悪い。しかしそれは一部の地域の話だ。
デモがあったキエフ中心地、地下鉄はほかの豊かな国と同じようににぎわっており、一人で歩いていても特別、危険を感じるようなことはなかった。
またチェルノブイリに関してはツアーでしかいけないので、治安などの心配はほぼないだろう。
もちろん海外なので、スリやひったくり、夜は出歩かない、人気のない路地には入らないなど最低限の注意は必要だが、それらのことに注意していれば、安心して旅行を楽しめる。
まだまだ英語の表記がすくなかったり、英語が通じなかったりと不便な面はあるが、ご飯は美味しく、街並みはキレイだ。
ウクライナは日本と同じく原発事故を抱える国だ。同じウクライナをみることから、われわれ日本人が福島の悲劇をどう捉えるべきかを学べるかもしれない。
またウクライナは、ロシアという大国と隣接していて、今も一部の国境が危険な状態が続く国だ。そんな国の人々は日々どういった生活を送っているのか。街はどんな様子なのかといったことを生でみることは非常に、刺激的な体験である。