土地の歴史を継承し繋がりをもたらすドンキを考察した一冊『ドンキにはなぜペンギンがいるのか』についてと地域のたまり場としてのマクドナルドについて

食品、雑貨、家具から家電までなんでも揃っているチェーンストアのドン・キホーテには、「ドンペン」と呼ばれるペンギンのマスコットキャラクターがいます。

このマスコットキャラクターは店内のイラストに使われるだけでなく、店先の看板にも登場します。『ドンキにはなぜペンギンがいるのか』 (谷頭 和希, 集英社新書)は、このドンペンの存在を考察するとともに、ドンキの独特で華美な外観、雑多な店内の秘密、そして店内で流れるテーマソング、一見似ているビレッジバンガードとの決定的な違い、ショッピングモールとの比較から、ドンキが持つ独自性とチェーンストアとしてドンキの存在について考察しています。

著:谷頭和希
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ドンペンの存在理由はあくまで導入であり、主眼は都市のなかのドンキとチェーンストアに対する新しい視点にあります。ちなみに本書はドンキの成功要因を紐解くビジネス書ではありません。ドンキから紐解く、都市論です。ドンキは私たちにとって、その街にとってどんな存在なのかを考えるものです。

目次

土地の歴史を継承し、繋がりをもたらすドンキ

簡単に内容について説明します。冒頭の章ではドンペンの存在理由、つまりなぜドンキはドンペンを店先に配置するのか、その理由や、ドンペンの役割、ドンキの華美な外観を、社会学者のレヴィ・ストロースの著者や建築家のロバート・ヴェンチュリーの意見を参照しながら考察します。

そこで語られるのは、ドンキの多様性と地域とのつながりです。チェーンストアは、その画一化的な外観と強引な出店戦略などで、地域の繋がりを壊す、景観を壊す、街の歴史を消去するなど、ネガティブな言葉で語られがちです。一方ドンキはチェーンストアでありながら、地域に繋がりをもたらし、その出店戦略によって土地の歴史を継承し、さらに多様性をもたらしているのではないか。本書はそう指摘します。

ドンキは店舗によって、外観や建物の構造、店内の陳列の仕方、さらに店頭のドンペンの位置やポーズなど、あらゆる点が異なります。一見ドンキとはわからないほど落ち着いた外観の店舗も存在します。ドンキの店舗が多様なのは、街の特色や元の建物(ドンキは居抜き店舗が多い)の形状に合わせるように店舗づくりをしているからです。また店内の作りやどんな商品を置くかは、店舗スタッフに任されています。そのため店舗ごとに商品に違いがあります。多様なのです。

ドンキの存在は地域の活性化にもつながっているといいます。たとえば新宿歌舞伎町を抜けた先、新大久保のコリアンタウンの入口にあるドンキ新宿店はその好例です。ドンキがオープンする前は、このエリアは薄暗く治安が悪い場所だったそうです。そこに24時間営業の店舗をオープンします。すると周囲の治安もよくなり、周辺に店を出す動きが生まれ、現在のような活気のある街を作る一助となったといいます。

ドンキがこの場所に店舗出店するにあたっては、治安の問題から反対があったそうですが、創業者は反対を押し切って出店しました。新大久保が現在のように賑やかなエリアになったのは、ドンキの出店だけが理由ではないでしょう。しかし、ドン・キホーテがその一助になった部分はあったはずです。

余談ですが、2020年にオープンした渋谷の宮下パークも似たような役割を果たしたのではないかと思っています。宮下パークの前には宮下公園があり、そのエリアは夜は薄暗く、男の私でも夜は近寄りがたい場所でした。それが宮下パークのオープンによって、一変しました。深夜まで営業している店が多く、夜でも人の往来が多く、歩きやすい場所になりました。もちろん、宮下パークの建設に関しては多くの批判もありました。現在でもあの場所に、あの建物があることに良い印象を持たない人もいるでしょう。一方で、宮下パークの完成によって、あのエリアが歩きやすくなった、イメージが良くなったと感じた人も少なからずいるはずです。実際私はそう思いました。

さて、本書はドンキが店舗出店の際に行う、居抜きについても注目します。チェーンストアは街の歴史を壊す、地域のつながりを壊すなど、批判的に語られることが多いです。しかしドンキは居抜き戦略によって、元の建物を残し、地域の歴史を継承しているのではないか。そして地域のニーズに合わせた店舗づくりを行うことで街と繋がっているのではないか、そう指摘します。

全ては儲けるため

本書で強調されるのは、先のようなドンキのあり方は、狙って行ったわけではないことです。あくまで儲けるためという資本主義的欲望からであり、結果的に多様で地域とつながる店舗になっていったというのです。利益追求の結果、都市とつながるような店になったというのです。

ドンキが本当に多様で、都市の歴史を保存し、都市との繋がりを見出す店なのかどうかは賛否が分かれると思いますが、利益追求の結果であるというのは、興味深いものがあります。

ただしドンキは非常は特異な例であるともいえます。ドンキがそうだからといって、すべての企業が利益追求だけを考えればいいとは限らないでしょう。いわゆる「見えざる手」によって社会はいい方向に導かれるといった新自由主義的な考え方には賛同できません。やはり社会的な責任などを考えながら事業を進めるべきだと考えます。

もちろん本書は、そういった考え方を肯定しているわけではありません。単に利益追求の結果、ドンキがそのような企業になったと述べているだけです。一方で、ドンキのように利益追求だけを目指せばいいのだと考えてしまう人がいるのではないかと危惧する面もあります。

チェーンストアが生み出す連帯感

最後の章では、ドンキからチェーンストアを考察します。これまでドンキという、チェーンストアのなかではどちらかといえば異色の存在について、論じていましたが、最後ではチェーンストア一般について想像力を膨らませています。

ここで論じられるのは、チェーンストアが生み出す連帯感です。これは同じチェーンストアを利用している人同士が、実際に話すわけではないが「よく見る人」といった程度で意識しており、そういったゆるやかな連帯が、チェーンストアのなかで生まれているのではないか、というものです。

そしてドンキで買い物をした記憶、スタバやサイゼで一休みした記憶など、チェーンストアにもつ共通の記憶によって、他者に思いを馳せることで、ゆるやかな連帯感が、価値観が異なる他者の姿に共感するきっかけになるのではないか、というものです。

資本主義のシステムの上に成り立っているチェーンストアは、貧富の差を助長する一面があるともいわれます。一方でチェーンストアが生み出すゆるやかな連帯感を通して、「チェーンストアの存在を通して他者理解や、他者への共感性を高めることができるのではないか」と述べます。

『ドンキにはなぜペンギンがいるのか』は、ドンキの見方を、そしてチェーンストアの見方を変えてくれる一冊です。チェーンストアは批判の対象になることがほとんどです。そういった批判を私たちはいつのまにか自分のものにしてしまい、チェーンストアを批判で語ることが常になってしまっているふしがあります。

一方で、チェーンストアは便利で、私たちの生活に不可欠なものになっています。チェーンストアなしの生活は考えられないというほどに。

『ドンキにはなぜペンギンがいるのか』は、ドンキからチェーンストアを考え直す一冊です。チェーンストアは私たちにとって悪い存在なのか、チェーンストアと一体になった私たちの生活を考えるヒントを与えてくれます。

地域のインフラとしてのマクドナルド

『ドンキにはなぜペンギンがいるのか』を読んで思い出したのが、世界的なチェーンストアであるマクドナルドです。

マクドナルドは、評論的な文脈で語られる時は、悪者として紹介されることが常です。大量生産消費の資本主義の権化として、画一的な店舗を大量に出店し都市の景観を破壊している、環境負荷が高いとされる牛肉を大量に消費している、身体に良くないジャンクフードを世界規模で販売しているなど、マクドナルドは社会、経済、環境、健康などあらゆる方面から悪者として紹介されます。

こういった批判にはまっとうなものもあるでしょう。しかしふとマクドナルドを訪れて、その賑やかな様子に目をやると、本当にマクドナルドはそんなに悪いことをしているのだろうかと、批判的な意見に疑問を抱きます。むしろマクドナルドは、多くの人にとって欠かせない街のインフラであるとともに、その地域の人々の様子がうかがえる街の集会場のような場所になっているのではないか、そんなことを考えます。

マクドナルドには、実にいろいろな人がいます。家族連れ、放課後に友達と談笑する中学校、高校生、大学生、仕事帰りに一息ついたり、パソコンを広げ残った仕事をこなしたり、勉強、創作活動にいそしむ社会人。また都心部であれば、近所の学校に通う外国人留学生や、日本語と英語を流暢に使いこなすインターナショナルスクールの学生や、まったく理解できない言語で話し合う観光客もいます。平日の昼間であれば、近所のおじさんやおばさんのたまり場になっていることもあります。

マクドナルドでは、年齢、性別、国籍、配偶者がいるかどうか、連れがいるかどうか、1人かどうか、収入、社会的地位、あらゆる条件に関係なく、誰もが利用できます。そして実際、あらゆる人が利用しています。

休日の昼間のマクドナルドは”激込み”状態です。待たされてイライラすることもありますが、一方で休日のマクドナルドは、まさに地域のたまり場的な場所になっています。それは客だけでなく、スタッフもそうです。厨房担当、レジ担当、お客様案内係、デリバリースタッフ、ウーバーイーツや出前館などの配達業者など。休日昼間のマクドナルドには地域の人が大集合しているのです。あたかも地域の集会場のように。こんな場所、他にあるでしょうか。

このような様子を通して、私たちは客であれ、スタッフであれ、それぞれの地域の人々の生活に心を通わせることができるのではないでしょうか。

『ドンキにはなぜペンギンがいるのか』が述べる、ゆるやかな連帯感のようなものが存在しているのではないかと思うのです。

もう1つ付け加えると、マクドナルドは街のインフラにもなっているのではないでしょうか。マクドナルドにはWiFi、電源がありトイレもあります。一杯100円程度のドリンクを注文すれば、これらを利用できます。

24時間営業の店舗もあります。ファミレスの多くが24時営業を止めた現在、マクドナルドは深夜に安全な場を提供してくれる場の1つになっています。

時々、賑やかすぎる方々がいたり、1杯のコーヒーで何時間も居座っていたり、あるいは何も注文していない人がいたりすることもあります。しかしマクドナルドではそういった人も、即排除されることはありません。繰り返しになりますが、電源もWiFiもトイレもあります。マクドナルドは、ある意味、図書館、コンビニに近いくらいのインフラになっているのではないでしょうか。

『ドンキにはなぜドンペンがいるのか?』では、ドンキを外に開いた場であると表現しました。マクドナルドもまさにそうで、多くの人に開かれた場所なのではないでしょうか。あらゆる年代、国籍、バックグラウンドの人が気軽に利用できる場です。もちろん、マクドナルドの雰囲気が嫌いで、一切利用しないという人もいると思いますが。

買い物も食事も、生活のほぼすべてがチェーンストアで完結するほど、世の中にはチェーンストアで溢れています。チェーンストアがなかった時代がまったく想像できないというほどに。

私たちの生活はチェーンストアとともにあります。チェーンストアが私たちの生活からなくなることはありません。そんなチェーンストアを「都市景観を壊す」「街を画一化させる」「格差を拡大させる」といった紋切型の批判だけで見つめるのではなく(もちろんそれも大切ですが)、新しい視点から見つめ直すことも必要なのではないでしょうか。『ドンキにはなぜドンペンがいるのか?』がちょうどしてくれたように。

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